少量で満たされるもの
都会を離れ暮らし始めて20年くらいになるだろうか
特にここ十数年はインターネットのおかげで都会へ行かなくても事足りるようになったので、日々のリズムは自然界に合わせて造られている
必要な予定は立てつつ、最終的には目の前の流れやその日のお天気によって左右される。
大切な人との打ち合わせや集いは海や森、時には川や畑
込み入った話をするときこそ自然の中でラフな装いでリラックスして曝け出したい派のわたしである。
週に一度、仲間と集まって歌や踊りの練習をすることも楽しみの一つで
雨が降らない限りは 自然の中で一年中裸足で 大地を踏みしめながら踊る。
わたしたち人間が裸足で踊ることで
大好きな地球の大地をマッサージすることができるのだ。
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そういう日々を過ごしながら、時々大都会に行くと全てが新鮮で いっぱいで気がつくと息をするのも忘れてしまう。
息つぎが浅いというのは、きっと今のわたしにとって、必要なものはほとんどないのだというバロメーターにもなっている。そんなふうに、本心というか自分の深いところの声を聞くことを優先している。たくさん持っている、そこに豊かさを置いていたのはもう遠い昔のこと。
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安心って、、
そのままを受け入れることから得られるとわたしは思っていて、
何があってもこだわらず、否定せず、受け入れてみてそこから解釈して行動していく。どんな心持ちを鍵として。
安心感という場所は実に力が抜けている!
安心っていうところに「常に居る」ことは自らが選択することだけだった。
でもそれが言うより簡単じゃないのは、今まで使ってきた思考のパターンや癖みたいなものも、だいぶくっついているのがわたしたちで、
安心って感覚を腑に落としているとだいぶ楽になるのだ。
宇宙自然と深くつながる技法の霊氣は、わたしたちがこの肉体を持つ世界で恐れず自我に振り回されず、安心のもとで生きることを教えてくれた。
氣。プラーナ。見えない、感じられないと思い込んでいた自然界のエレメントと手を繋いで生きていける方法
いろんな生命が織りなすものを聞き、共に歓び合う
自然界の一部という自覚と歓喜
その選択の中では、足るを知る 豊かな世界が広がっている
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今向き合っている場づくりも、どこへ辿り着くのか、何から進めるか。
わたしたち人間主導ではなくて、日々その都度、自然界に伺いながら、それを汲み取りながら人間としてできることを行うようにしています。
そこには、ゴージャスさはないけれど 全てがある
たくさんの量はないけれど、ひと口で満足感が長く続くものにも似ている
数多く持ってはいないけれど、ほんの少し、たったひとつのお気に入りを持つようなところ
そんなちいさな幸せのある世界を
霊氣と共にシェアしていけるよう準備を進めています。
続く、、