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『自己愛性人格障害』の夫と夫婦になってしまいました。

もしかしたら、私の夫は自己愛性人格障害なのかもしれない。
もちろん、本人に精密検査を勧めるなんてできないし、これは私のただの妄想なんだけど。

結婚前の夫は、疑う余地もなくそんな特徴とは真逆の人だった。
けれど、結婚生活を続けるうちに夫との関係に息苦しさを感じるようになってきた。ものすごく。

そんなある日、何気なく手に取った夫人雑誌に『歩み寄れない夫婦の特徴』みたいな特集が載っていた。そこに書かれていた『自己愛性人格障害チェックリスト』の項目を目で追ううちに、あまりにもすべてが当てはまることに愕然としたのを、今でもはっきり覚えている。

夫が「障害」を抱えているのかもしれない。

そう思ったとき、差別的な感情を反省するどころか、どこか安堵している自分がいた。
『…だからなんだ』と腑に落ちた気がした一方で、義両親への怒りも湧き上がってきたっけ。


彼の家庭環境を思い返すと、義両親はいつも絶対的な息子(長男)贔屓だった。


夫が幼かった息子の前で私に手を挙げたことがある。それも『加減』を知らないので、肋骨にヒビが入るほど殴られ救急搬送された。

(不信そうなお医者様に、大事になるのが怖くて私は転んだと嘘ついた)

後日、義両親は私や私の両親の前では謝罪の言葉を口にしたものの、身内だけになると『そこまでさせたあなたが悪い』とでも言わんばかりの態度だったこともあった。
謝り方を教わらず他責にする夫の癖は、こうして根付いていったんだろな。

『自己愛性人格障害』とは、単なる育て方育ち方だけの問題ではなく、脳の働きに由来する部分もあるらしい。

そうだとしてもね、子どもが社会に交わる中で親がその衝動をコントロールしていくのが本来の役目だと思う。

しかし、そうした課題を抱えた人が大人になると『要領』を覚え、ますます厄介になる。
結婚するまでは自分を取り繕い、『角』や『牙』を隠す。けれど、『自分のもの』と認識すれば、その『角』や『牙』を容赦なく使いこなすようになるから。


どうして私は、それを見抜けなかったのだろう?

あの頃の私は結婚を急いでいたわけではなかったし、むしろ仕事や仲間との時間が楽しかった。
でも、大失恋を経験したばかりだった。
きっとその大失恋が、私の感覚を鈍らせたのだろう。



この文章を書いている今も、心の中にさまざまな感情が渦巻いている。
息苦しいだけの結婚生活では無かったんだから。幸せな時間だってあったんだから。そう言い聞かせながら少しずつ整理して、『私のこれから』を考えていきたいと思う。



同じように悩んでいる人に、少しでも寄り添える言葉として――。


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