呉服神社御縁起
御祭神は応神天皇三十七年(308年)の御請願により絹織物の織姫として呉の国王より遣わされました
呉服どり(姉の織姫)をお祀り申しあげてございます。
当時の豊島郡秦野村一帯は日本でも
信州空谷と並び称されました空の澄んでいた処で気候温暖、土質も桑の木に適合
し夏ともなれば一面青々とした桑の葉波の海でございました。此の様子をご覧になり大変感激なされ現神社の有る場所でお住いになり、本邦初の、かいこーまゆーきいとー染色ー絹織物と一貫して織物をおつくりあそばされました神様でございます。
役芸の神様としての信仰も厚く芸術・映画・演劇等第一線で活躍されている宝塚歌劇・京都の舞技芸の道を歩む若い人達の参詣が絶えません。
下渋谷村の伝承
〇待兼山(現石橋の大阪大学)
村人連は呉服どり・穴織どりをこの山で今か々と待ち兼ねたと伝えられております。
〇絹懸け松(畑の六本松)
呉服どり・穴織どりが織られました絹織物を六本松に懸けられました。そのあと皇族方や貴族の方々に献上され
本邦初の絹織を手にされてその肌さわり、光沢の美しさに大変お喜びになったと伝え聞いております。
〇呉服・穴織両神社の下渋谷村の仕来り長男がお祀りする女性は昇殿することができません
下渋谷宮講(現)十三戸が月替りでお祀りする