走れメロス
本当の終わりから本当の始まり
私たちが味わう感情のすべては、
もう、何もない
ただ、そこにあるのは、
普遍的な愛のみであって
"空"なんだ
とても不思議な感覚
………
捕われの身、セリヌンティウス
わたしにとって、彼はメロスだった。
彼を信じているから
命を差し出せる。
彼は、わたしの直向きな愛を
勇気に変え鼓舞する。
わたしたちは、
どんなときも信じていた。
か細き光でさえも
一筋の光に変えて、
信じることで
光を強く輝かせていた。
恋をし愛を育んだ。
そして、いつしか消えることない
『見えない絆』という
“友情"という深い絆で結ばれた。
………
恋愛という生き物はとても面白い。相反する気持ちを、持ち合わせる時がある。
時に活力になる一方で、負の感情も現れ、右往左往する。気が狂いそうになったり、自分を見失いそうになったり。何度も何度もそれを味わう。
………
只今ロードショー中の、蜷川実花監督『人間失格 太宰治と3人の女たち』映画で、小栗旬扮する太宰治が「人間は恋と革命のために生まれてきた」と言っていた。
確かに藝術家は、恋愛や苦悩がないと表現できなくなる。到達してしまった途端、作品が生まれこなくなる。
書調、画調、曲調、それぞれのアーチストの心が移りゆく中で、
『葛藤→恋→愛→平和→神(愛)』など、転調するのを垣間見る。大きく捉えると『個→世界→宇宙』そんな過程を辿っているように感じる。
そう言った意味では、彼のテーマは、ただ一つ、"恋愛"だったのかも知れない。
太宰治は、敢えて作品のために自身を肥やしにしていていたのかも知れない。しかし、私が感じる太宰治は、恋愛を通して、いろいろな愛のかたちを学び、何よりも一つだけの愛を探し求めていたのかも⁈と強く感じてならない。
………
私は、藝術家ではないが、苦悩は長く持ち合わせていたいと思う。なぜならば、苦悩は常に人を成長させるからである。そして苦悩から幸せもうまれる。まだ見ぬ自分と幸せを見続けたい。
そうは言いながらも、老後の数年は、穏やかに田舎で暮らしたい。苦悩もなく余生を楽しむ生活。人との繋がりを楽しみながら、畑で花や野菜を育て愛で慈しむ。そして命を戴く。丁寧に優雅な時間を過ごす。自然に感謝し自然の美しさを感じ生きる。地球を感じ生きる。これこそ最高の贅沢かも知れない。
嗚呼
もう一度、あの風を感じていたい。
最後は、あなたと共に。