コミュニケーション能力が高いと言われるけれど、本音の部分を言葉にするのが苦手です。
「どんな人ともすぐに打ち解けられる。」
「コミュニケーション能力が高い。」
私はよく、そんな評価を受けます。
そして自分でもそう思います。
自他共に認める、というやつですね。
だけれども、
本当に伝えたいことを言葉にするのが、どうしようもなく苦手です。
上手くできないのです。
とても生きづらい。
例えば、人への相談。
なんだかつらいことがある、
だけれどそれを言葉にすることができない。
ましてや、人に伝えるなんて、あまりにもハードルが高い。
恋人と話し合いたいことがある。
しかしいざ本人を前にすると、
言葉が出てこない。
挙げ句の果てには涙が出てくる。
普段、人よりもよく話すからこそ、
他者から「この人は何かを言えていない。」と認識されることもない。
しかし自分の中には一番伝えたいことだけが積もっていき、どうでもよいことはぺらぺらと言葉になって、他者とのコミュニケーションを築いている。
伝えたいのに、
伝えられない。
この葛藤。
なぜこのような状況になってしまうのでしょうか。
少し自分を振り返り、原因を考えてみます。
コミュニケーション能力が高い=明るい性格
というイメージに縛られ、
自分はそうあるべきだと思ってしまっていること。
先ほど、自他共に認める、と書きましたが、自他共にそう期待している、と自分の中で変換している節があるのかなと思います。
言葉にできずに積もっていく思いは、だいたいネガティブなことです。
ネガティブなことを表現することへの恐怖があるのではないかと思います。
それは自分で勝手に作り上げてしまった、自他からの期待を裏切ることへの恐怖感と同義でもあります。
他者からの期待が自分からの期待にもなり、コミュニケーション能力が高い、という人間像を生きるようになっていく。
期待に応えようとする性質が、
ネガティブな本音を伝えることを阻む。
表面的なコミュニケーションと伝えたいことを伝えられない葛藤。
これが外側はポジティブで内側のネガティブ濃度は高まっていくばかり、という事態を生むのではないでしょうか。
そんな私に必要なこと。
まずは文章でもよいから、
ネガティブな本音を形にして、外に出してあげること。
相手に伝える、ということはゴールではありますが、まだまだハードルが高いので、自分の中で言葉にして、外に出してあげることが大事なのではないでしょうか。
外に出すことで、
自分の中のネガティブ濃度を薄めること。
表面とのギャップを縮めていくことが、
行きやすい私を作るのではないかと思うのです。
だから私は今日も文章を書きます。
facebookでもblogでもなく、この場に。
自分の表面と中身のギャップが少ないこの場に。
同じような思いを抱えている方がいらっしゃったら、一緒に言葉を外に出しましょう。
そして生きやすいように自分を導いてあげましょう。
たけだりな
きょうもあなたの一日にちょっぴりいいことがありますように。そんなちょっぴりのいいことを、一緒にたくさん積み重ねていきましょう。「すき」で世界を溢れさせましょう。