わたしの存在意義って?〜サバティカル休暇日記④
サバティカル休暇に入って、最初の1週間は楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
やりたいことが、やりたい時に、思う存分やれる!
ゆとりを持って子どもと接することができてる!
それなのに。休暇に入って2週間ほど経った頃のこと。
ハイな気分も落ち着き、代わりに得体の知れない不安がわたしをじりじりと襲ってきたんです。
不安の原因は?
不安の要因は大きく2つありました。
1つは、理想と現実のギャップです。
やりたいことをリストアップして、やりたいことをやるために使っていいお金も明確になって「あとはやるだけ!」の状態から、いざ休暇に入って実際に実行してみると
「あれ……?このペースで毎日やっていくと、サバティカル休暇中にやりたいことリストをやりきるのは無理っぽい」と思うように。
そしてそれは日が経つごとに現実味を帯びていって、「こんなはずじゃなかったのに……」と理想と現実のギャップに苦しむようになっていったんです。
ゆったり今を楽しみ、未来のこと考えるはずだったのに。
サバティカル休暇の残り時間をカウントに意識がいって、思い描いていた理想の自分と現実の自分に苦しむ自分がいました。
2つめの要因は、社会からの疎外感。
サバティカル休暇に入って、最初のうちは会社のメンバーから引き継いだ業務についてSlackで連絡が来ていました。それが1週間経ち2週間経つと……ほとんど連絡が来ない。
その頃。家庭でも週1回、子どもと旦那さんを置いて家出をする中で。
初めて家出した時は子ども「おかあさん、おでかけするの?」と、最後には笑顔で送り出してくれたものの、いつもと違う反応が見てとれたんですね。家出先のホテルに向かう電車の中で、「子どもと旦那さんふたりだけで大丈夫かな……?」と心配になりながら、窓の外に流れる街灯を見つめていました。
それが、2回目の家出になると子ども・旦那さん共に慣れた様子で「いってらっしゃーい!楽しんできてね!」と、玄関から送り出してくれたんです。
「ありがとう!いってきまーす!」
と、玄関のドアを閉めた瞬間、こんなことが頭をよぎりました。
「あれ?わたし、この世界にいなくてもいい人間?」
自分の存在意義とは
前回とは違う家出先のホテルに向かう電車の中で、前回と同じように窓の外に流れる街灯を見つめながら考えていました。
わたしがいなくても、会社は変わらず回りつづけるし
家庭でさえも、わたしがいなくても家族は元気に楽しく過ごしている。
わたしのいる意味って何だろう?
ぼーっと考えていると、あっという間に目的地に着いたのでその日は「せっかくの家出。ゆっくりしよう!」と気持ちを切り替えて、2回目の家出を楽しみました。
でも、自分の存在意義って?という問いの答えは明確に見つからず、長い間サバティカル休暇を過ごす日々の裏側に居続けることになるのですが……
これについては、また別の機会にnoteにまとめたいと思います。
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<追記>
サバティカル休暇が終了する間際の気持ちをつづった後編の記事を書きました。よろしければ合わせてお読みください。