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可愛いお子さんですね、と言われてモヤモヤした話

歩けるようになったのが嬉しくて、楽しくてたまらない1歳4カ月の娘。

いつもは抱っこで家路に着くけど、「今日は試しに家まで歩いて帰ってみよう」と、買ったばかりの赤い靴を履かせて、手をつないで歩いていた。

花壇の葉っぱをさわり、側溝の段差をわざとのぼり、路線バスが道路を通ると「あ、あ」と指を指し。徒歩5分の道のりを15分くらいかけて歩いていたところ、前から帰宅途中と思われるサラリーマンの姿が見えた。

一時期ひどかった人見知りが薄れてきたからか。はたまた、バイバイができるようになったのが楽しいのか。最近は、すれ違う人に手をふって愛想を振りまくのがマイブームの彼女。立ち止まって、こちらに向かってくるサラリーマンに向けて、一生懸命手をふった。

それを見たサラリーマンが、立ち止まってこう言った。

「むちゃくちゃ可愛いお子さんですね。ばいばい、さよなら。」

そして、私たちが来た道のほうに歩いていった。

多分、娘よりも大きなお子さんがいるんだろう。
子どもの、過ぎ去りし日を思い返して可愛いと言ってくれたのか。

可愛いと言われた当の本人は、何事もなかったように自販機のおつりが出るところのフタをパカパカさせて遊んでいる。

なぜか頭の中を離れないモヤモヤ

家に帰っても、娘を「かわいい」と言われたその時のことが思い返される。

子どものことをかわいいと言われて、単純にうれしい。けど、なんだかモヤモヤする。このモヤモヤの原因はなんなのか。

夕食の準備をしながらモヤモヤ。子どもをお風呂に入れながらモヤモヤ。モヤモヤが頭の中から離れない。

考えているうちに、こんな答えがひらめいた。

「とつきとおか、文字通り私は彼女と一心同体だったし、生まれたあとも彼女のことは可愛いと思ってる。でも、所詮、子どもは他人。私の所有物でも、作品でもない。

そう思ってたのに、可愛いと言われて嬉しい気持ちになったのは、心のどこかで子どもを作品と思ってるからなのかな。だからモヤモヤした気持ちになったのかも。」

そのとき、玄関が開く音がした。旦那さんが帰ってきた。

その視点はなかったわ

ちょうど帰宅した旦那さんに今日の出来事と私のモヤモヤを話したらところ、彼はこう言った。

「そういう考えもあるかもね。

でもさ、僕たちの願いは、彼女が幸せに生きてくれることじゃん。
たくさんの人に愛されたほうが、彼女が幸せになる可能性高まるじゃん。そしてそれは、僕たちの願いでもある。

だから、「かわいい」って言われて嬉しかったのは、彼女が幸せになってほしいっていう願いに近づいたから嬉しくなったんじゃない?」

それを聞いて、思わず「なるほどねー」という言葉が口から出た。

家族だって他人だ

彼の考えを聞いて納得がいったし、その考えでいたほうが自分も幸せな気持ちになるから、その考えを採択することにした。

と同時に、家族だからといって、同じ考えを持つことはない。同じ体験から別の考えを持つものだなーと、あらためて感じた。だって、所詮他人だもん。

相手の考えは、聞かなきゃわからないし、自分の考えも言わなきゃわからない。今日は、モヤモヤしてることを彼に伝えて、その結果、自分のモヤモヤを吹き飛ばす考えが聞けてよかった。明日も、話をしよう。

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