3年弱経ってまだ母親の自覚がない私に、ちょっとだけ自覚が出てきた話
「生物学上は母親になってからそろそろ2年経つけれど、まだその実感がない。」といったらびっくりするだろうか?
つわりがあり、だんだんとお腹がふくらみ、胎動を感じるたびに母性が生まれ少しづつ母親になる準備が少しづつ出来てくる…なんて世間では言われたりもするけれど、10カ月間お腹の中で子どもを育くんでた時間を含めると3年弱経った今でも、正直、まだ自分が「母親」だという認識が完全には持てていない。
そんな自分に、ちょっとだけ。ちょっとだけ変化が起こってきたのはここ数日のことだ。
「おかあさん」は唯一無二の存在
わたしの家では、子どもに親のことを「おとうさん」「おかあさん」という言葉を使っている。そしてそんな私も、子どものころから親を「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいた。
それが影響しているのか、「おかあさん」という言葉はわたしの中で、自分の母親のことを指す言葉なのだ。
なので、保育園のお迎え時に先生に「お母さん、今日〇〇ちゃんはこんなことをして遊びました」とか言われても、自分に言われてる感覚が薄く感じるし、家で旦那さんが子どもに「これ、おかあさんに渡して」などと言うのを聞くと「そういえばお母さんからLINE来てたな。返さなくちゃ」とか思ってしまう。
例えば市川 海老蔵が團十郎の名前を襲名したとして、最初のうちは團十郎といわれたら父親のほうを思い出したり、海老蔵という名前のほうがしっくりくるみたいな感じ……といったら伝わるだろうか。
最近起こった変化
そんな私に、最近ちょっとづつ変化が出てきた気がする。
きっかけは、子どもが「おかあさん」らしき言葉を発するようになったことだ。たどたどしくてちゃんと言えず、何度聞いても「(と)たーたん」にしか聞こえない。けれど、わたしが写った写真を指差して「これ、だーれだ」と聞くと「(と)たーたん」と答えているので、本人は「おかあさん」と言っているようだ。
反応があるとこちらも楽しいもので、たどたどしい「おかあさん」が聞きたくて、ついつい何度も「これ誰だゲーム」をしてしまう。
また、子どもが「おとうさん」「おかあさん」を理解してることがわかったので、「こっちは、おかあさんのコップ。あっちのコップが〇〇ちゃんのだよ」など、子どもとの会話の中で「おかあさん」という言葉を使う頻度が格段に増えた。
不思議なもので、「おかあさん」という言葉を発すれば発するほど、自分がその役割を受け入れるような気になってくる。
立場は変化する
もう1つ気づいたことがある。
それは、家族内での立場は家族内で一番年齢の若い子の視点で名前がつけられるということ。
結婚した男女はお互いにとって「夫」と「妻」だけど、子どもができると家庭内の立場が「おとうさん」「おかあさん」に変わる。そしてそれぞれの両親は「おじいちゃん」「おばあちゃん」になる。
さらに子どもができると、それまで一番下だった子が「兄もしくは姉」になる。家族が増えることで自分の立ち位置も変わってくる。
それは家族に限らず、組織全般に言えることかもしれない。4月に新卒が入社すると、それまで一番若手だった年代が先輩になってくような。
子どもの存在
ちょっとづつ言葉が言えるようになってきたとはいえ、まだまだできることの少ない無力で非力な子どもなのに、この子に対して「おかあさん」という言葉を毎日繰り返し何度も使う中で「おかあさん」という言葉が示す相手が自分の母親から子ども目線でのおかあさん=つまり私に、少しづつ、でも確実に上書きされている。
そして、この子がいることで、わたしと旦那さんは「父」と「母」になったし、その両親も「おじいちゃん」「おばあちゃん」になった。
子どもはすごいな。わたしたちを親にしてくれたのか。存在してくれてることで、こんなにも変化をもたらしてくれる尊い存在だ。
そういう私たちも、かつてはみんな存在そのものが尊い子どもだったんだな。