同じ名前の子がいても、自分の子どもの名前のほうが心にぐっとくる理由
ある日、クライアントとミーティングをしていると、その会社がつくった販促物の話になった。販促物の写真を見せながらクライアントは
「ここの赤は〇〇を表していて、こっちの黄色は〇〇を意味してるんだよ。」
と説明してくれた。その説明をしてる様子を見てて
「ああ、このクライアントはこの販促物のデザインをとても気に入っているんだな。しかも、見た目のデザインを感覚的に気に入ってるだけじゃない。
どうしてこのデザインなのか、デザインの意図を聞いて、その内容に納得してるからこれだけ愛着が沸いてるんだな。」
と感じた。
と、同時に、「なんか、この感じ、知ってる。」と思った。
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あ、そうだ、子どもの名前だ。
同じ名前なのに、愛着がぜんぜん違う
わたしの子どもの名前は、比較的よく目にする名前。
自分の友達にも子どもに名付けたのと同じ名前の子がいて、「ちょっと気まずいけど、でも、やっぱりこの名前がいい!」と決めた。
よその子と自分の子。
同じ文字、同じ音の名前でも、自分の子どもの名前のほうが断然、愛着がわくから不思議。
それは、名前の奥に込められた思いとか
その名前を付けるまでのストーリーを、痛いほどよく知っているから。
50以上の候補の中から
絞って、絞って。
同じ音の名前でも、どんな漢字をあてるか。
もしくは、あてないか。
漢字の意味を調べて、
この子が幸せになるように、願いを込めて。
うわべの文字だけじゃなく、その裏に「この子が幸せになりますように」と願いを込めて、付けた名前。
だから、同じ音だったり、時には漢字まで一緒の名前の子がいても、自分の子どもの名前のほうが愛着が持てるし、特別なんだ。
いつか。
子どもに、名前の裏側にある願いとか、ストーリーを話す時がくるのかな。
来るんだろうな。