親が子どものためにできること
2022年9月に起きた、幼稚園バス女児置き去り事件。
私も夫も在宅ワークをしていたある非。
2階の仕事部屋にいた私がリビングに飲み物を取りに行くと、ワイドショーで事件の会見を見ていた夫が話し始めた。
「あの事件、想像できるだけに心が苦しくなったよ。
朝送迎バスに乗ったけれど、自分だけ出れなくなっちゃって、誰もいなくて。暑い暑いって、家から持たせてくれた水筒を飲んで。でも飲んでたらなくなっちゃって。
締め切られたバスの中、暑いから少しでも涼しくなろうと服を脱いで。泣いても泣いても誰も来なくて。最後、衰弱死しちゃったみたい。
自分の子ども、もしそんなことになったら同じ行動取るだろうなと思って。いたたまれないよね。」
テレビで放送された事件の詳細の説明を聞いて、わたしの頭の中には長女が置き去りになって泣きわめく様子が思い浮かんだ。辛くて苦しくて発狂しそうだ。
「・・・うん、つらいね。」
「だからさ。今度、子どもにクラクションの鳴らし方を教えようと思って。」
「え?」
親が子どもに教えられること
どうしてそこにつながるの?
話の飛躍についていけなかった。
「どういうこと?」
「いや、ないのが一番だけど、もし万が一さ、子どもが車に閉じ込められるようなことが起きちゃったら」
夫は続ける。
「車には、「クラクション」というものがあって、それを鳴らすと音がなって、外にいる人にも聞こえること。どうやったら鳴らすことができるのか。
それを教えて、万が一何かあったときにクラクションのことを思い出して鳴らすことができたら、外にいる人に気づいてもらえて、数%でも彼女の生存確率を上げることができるかもしれないじゃん。
さすがに家の駐車場でクラクション鳴らすと近所迷惑になっちゃうから、広い公園の駐車場とかに行ってさ。教えようと思うんだよね。」
それを聞いて、2つのことにはっとした。
まず1つは、子どもへの教育、と聞くと「知育」や「受験勉強」など学力向上のための教育がぱっと思い浮かぶけど、それらは命あってこそ。
一般的に言われる「頭がよくなる」ための教育だけじゃなく、「生存確率を上げるための知恵」を教えるって重要ということ。
もう1つは、親が子に及ぼす影響力の大きさ。
この事件から、クラクションの存在を親が教えるか、教えないかで万が一の時に子どもの生命にダイレクトに影響してくる。
正直、わたしは今回の事件で「クラクションの存在を教えよう」という発想は思いつかなかった。
極端な話、わたしたち夫婦が離婚した場合、子どもをわたしが引き取った時と夫が引き取った時では、後者のほうが子どもの生存確率が高まることになる。
1日24時間。限られた時間の中で、親が子どもに何を伝えるか伝えないかが、子どもの人生に直結するのだ。
「なるほどね!じゃあ、今度の週末に車で公園に行こうか!」
と話し、週末の予定が決まった。
・・・
事件に関しては、残念でしかありません。
ご家族・ご親族のことを思うと、この度のご不幸、もう胸がつぶれる思いです。心からお悔やみ申し上げます。