「ラストダンス」 ~ 師走の街に ~
12月はダンスの季節だ。
父が生前ソシアルダンスを長く続けていたことから、この時期あちこちで開かれるダンスパーティの情報が何となく目に留まる。
そんな折、わがレモングラスの紳士、Yさんを街でお見かけした。
白髪が似合う長身は二年前と変わらない。
奥様と思しき老婦人の脚をいたわりながら、手を取って古いマンションに入って行かれるお二人の表情は、寒さのせいか少し硬く、私は何となく意外な思いで見送った。
父の影響で少しだけ齧ったダンスレッスンでご一緒した、最長老の先輩。
女性への注文ばかり多いダンス居士の中で一人、「どんな相手だって、踊らせてみせるのが男の心意気」とばかり、パートナーへのリスペクトを忘れずそしてとにかく気持ちよくリードしてくれるがその方だった。
手を取られてポジションにつくと、白いワイシャツからはいつもレモングラスを思わせる爽やかな香りがした。
都心のマンションに暮らし、引退後はダンス三昧の老後を楽しむリッチな趣味人。
齢八十を過ぎても、ボールルームで踊るのを楽しみに年に数回の豪華客船の旅に出る優雅な行動派。
若い頃は如何ばかりかと思いつつも、踊ることだけを楽しみに飄々とレッスンされている姿は何の嫌味もなく気持ちが良かった。
レモングラスの花言葉が「爽快 爽やかな性格 凛々しさ」と知った時は、我が意を得た思いがした。
その人のライフスタイルや、いつもお一人で出かけられるご様子から、なんとなく奥様を見送った老年の独身貴族を想像していた。
子供や孫とも適当な距離を取りつつ、自分の時間を楽しむ気楽で独立した老青年。
そして先日の遭遇。
奥様がいらっしゃったのも意外。
思いのほか質素な古いマンションだったのも意外。
そしてダンスでは見せたことの無い、少し怒ったような硬い表情も。
社交的な人が必ずしも良き家庭人では無いという。
Yさんがどうなのかは判らない。
ただ私の知らない、奥様の前での表情があることを知った。
結構外ヅラのいい、頑固オヤジなのかもしれない。
我儘勝手な亭主関白なのかも。
フレグランスだなんて、ずいぶん気取り屋のフシもある。
でもそんな老齢のご夫婦が、年末の街を腕を取りあって家路につく姿は、やはり温かいものを感じさせた。
「パーティでもクルージングでも行ってらっしゃい。私はここにいるから。」
奥様はそうやって何十年もの間、遊び好きなご主人を送り出してきたのかもしれない。
亭主元気で留守がいい。そんな言葉と共に気楽な週末を友人と過ごしたことも。
金婚式を越えたご夫婦には、きっとお二人にしかわからない暗黙の了解と信頼があると、そう信じたい。
「好きな方と踊ってらして」
「でも私がここにいることだけ、どうぞ忘れないで。 ‥‥そして最後のダンスは」
そんな古いシャンソンが聞こえてきそうな師走の夕暮れ。
この季節特有の華やかな香りをまとった女性が、傍らを通り過ぎてゆく。
私は爽やかなレモングラスの香りを想いながら、お二人が仲睦まじくお元気に新年を迎えられることを祈った。
【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事: 「移り香」 ~ 顔うずめる時 ~
【著者】Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。
Photoマガジン始めました。「道草 Elegantly simple」
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編集協力:OKOPEOPLE編集部