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「金木犀」 ~ 思い出でもないくせに

嗅覚にも得手不得手があるのだろう。
私はもしかすると“花”系の香りを感じにくいのかもしれない。

去年今頃のしっとりとした夕方、買い物帰りの住宅街で何ともいえない華やかな香りが鼻をくすぐった。突然景色が変わってしまうような芳香の先には緑の庭木と枇杷色の細かい花の集まり。後からキンモクセイの香りと知ったときには驚くよりほとんど自分の“馬鹿鼻”に呆れてしまった。

その名を知らなかったわけでは無い。秋を代表する花の香りに気づくことなく人生半分過ごしてきたと思うと、勘違いの“鼻自慢”がポッキリ折れる。

さて今年は枇杷色の花を見つけると心して鼻を近づけるが、やはりあの時のような鮮烈な香りは聞こえてない。そういえば春の訪れを告げる“梅の香り”も今一つ捉え切れずにいる。やっぱり私の鼻は花に弱い。

去年の今頃なら、それは母が故郷にある高齢者施設に行く少し前。もしかすると東京の家で一緒にテーブルを囲む最後の夕飯の買い物だったかもしれない。

とはいえこれはただの”後付け”。よっぽど薫り高い木だったのだろう。湿り気を帯びた空気も香りを運ぶのに相応しかったかもしれない。時を得た香りの魔法で、その情景が妙に鮮やかに記憶に残ってしまったようだ。スーパーの袋を下げて後ろを歩く母の気配と共に。

これから季節のたび、そんな記憶と共にちょっとしんみりキンモクセイの香りを探したりするのだろうか? そんな想像をすると居心地悪い気分になってくる。

母はまだ思い出でも何でもなく、今や念願の故郷の山々を眺めるホームで気楽なおひとりさまライフを始めたばかり。毎週電話の向こうから新生活のアレコレで笑わせてくれている。

オモイデめかすには早すぎる。
あと何回会えるとか考えたら鬼が笑う。

それはごく普通の秋のひとコマで、私は鼻にも留めずこれからもよく似た景色の前を通り過ぎてゆくだろう。

そしてあらためてこのバカ鼻に感謝する。
来年も再来年もその次もずっと、ふとした瞬間の黄金の香りにフラッシュバックすることもなく秋の住宅街の道は続き、母との電話は今週のお天気やらコンビニで見つけたお薦めスナックの話題で埋まる。

あの日の香りに引き戻されるのは、花の名も忘れかけたずっとずっと先のことでいい。そして私はまた呆れたように感心するのだ。

「ああ、そういえばこれがキンモクセイの香り」

【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事:「永遠へ」 〜 明治神宮、命の森の匂い ~

【著者】Ochi-kochi
 
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。Photoギャラリーはじめました。「道草 Elegantly Simple」

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