違いを楽しむとは何か?
今日はとってもひさしぶりに胡桃堂の朝モヤという対話の場へ。ここへくるのは4年ぶりだった。
今日は「違いを楽しむとはなにか?」という問いについて深掘りした。
①違いを楽しむと受け入れるは別?
楽しむけど受け入れはせず、違いについては他人事ってこともある。一方で違いをその場では受けいれることはできても、心ではもやもやしてて違い自体を本当は楽しめてはいないってこともある。
②多様性(ちがい)を認めなきゃいけない風潮が強まるほどコミュニケーションが希薄化する?
それぞれの違いを認めなきゃいけない→違うことに対してなかなか踏み込めない、触れられない→コミュニケーションが取りづらくなる
みたいな連鎖が起きてコミュニケーションの希薄化が進んでいるのではないか?
③違いを尊重するのと折り合いをつけるのは違う? お互い違うままで尊重し合うのか、違いを認め合って同じ方向を向いていけるように折り合いをつけるのかは別ではないか?楽しむとはどちらなのか?
④そもそも違う人に向き合うってものすごくエネルギーがいる。違いを突き放してくる人とは本当に分かり合えるのか?相手の気持ちを考えようとしない相手と、違いを楽しむことってできるのか?
興味深い問いにもやっとしながらひさしぶり対話の場に参加して、頭をぐるぐるさせた。とてもいい朝の時間だった。