私は父に栄養を送る
父が癌だ。
結構前から、「父が癌だ」が続いている。初めて聞いたのは、師ウィンドイーグルが住むニューメキシコに1ヶ月滞在してストーンウィールを作り、帰ってきた日のことだった。2019年、9月のこと。癌があったりなかったりしながら、もう2年くらいになるんだな。
「父が癌です」とは、なんというパワーワードだろう。漂う悲壮感、ただ事じゃない感じ、触れにくい感じ。
父が癌です、イエス。そして、私の父は、癌と言う名前ではない。私の父は、前川慎一です。
父は、妹の結婚式の前に癌が発覚し、癌があった大腸を切除した。執刀医の術後の説明の時、牛のモツのように無造作に持たれる父の切除された大腸を母と共に見た。「パ・・・パパ・・・ですか?」と、その大腸を父の一部と認識しようとする不思議な思考に戸惑った。不思議な思考と書いたけど、あれは思考だったのか、ハートだったのか、どこの声だかわからない。混乱していたわけじゃない。とても普通に、いつも通りに、医師に今後の父の状態について質問をしていたから。父から切り離された父の大腸がじゃぶじゃぶと洗浄される音、医者の両手の間でたゆんと弧を描く父の大腸。父の本体は、日の光の入らない部屋で機械と管に囲まれて眠っていた。父本体よりも、モツの方がよっぽど自由に見えた。
父はその後、見事に復活し、妹の結婚式にバッチリ合わせてきた。すごいよかった。あれはすごかった。誰もが最高にハッピーだった。
しばらくして、父の肝臓に再び癌は現れた。そして父は明日、今月2度目の入院をする。そして、今月頭の手術で取り切れなかった癌を切除する。ひと月に2回も手術をする。父は今、一体、どんな気持ちなんだろう。
前回入院の日の朝、私は仕事先から父に電話をした。電話をしたら、ワンコールで父は出た。早いね、と伝えると、今トイレですと返ってきた。スマホでツムツムでもしてたんだろう。無事に終わりますように、と言うと、すいませんねえと返事が返ってきた。こう言う時はパパ、ありがとうって言うといいよ、というと、ありがとうございマッス、とちょっとぎこちないありがとうが返ってきた。パパはありがとうを言うのが本当に下手だ。いつも、アザーすとか、ありがとうございマッスとか、変な感じでありがとうを言う。照れてるのはバレてるんだから、ちゃんと言えばいいのに。
前回の手術当日、私は仕事で、たくさんの同じ夢を見る人たちに囲まれていた。その人たちに父が明日手術ですと打ち明けた直後、その場に一緒にいた女の子が私を抱きしめてくれた。途端、私は子どもみたいに泣いた。えーんえーんどころじゃなかった。うわーーーーんって泣いてた。父が癌だとわかってから、あんなに泣いたのは初めてだった。私は悲しかったのか、不安だったのか、父を思って泣いたのか、父を支える母を思って泣いたのか、遠くに住んで何もできない自分に泣いたのか、もしくはその全部か。わからない。ただ、泣く私は子どものようだった。父が癌だとわかってからあんなに泣いたのは初めてだったし、何より、あんなにたくさんの人の前でわんわん泣いたのは、物心ついて以降初めてだった。
明日、父がまた入院する。明日朝はまた電話をしようと思う。電話をするのは感傷に浸りたいわけでも、家族のメロドラマをやりたいわけでもない。じゃあ何?私は、私の父に栄養を送りたい。栄養を送りたいのだ。父の身体に、心に、スピリットに、栄養を送りたい。栄養を送ろうと思う時、何もしないより電話をする方が効く気がする。気のせい上等。思い込みが世界を作るのだ。
「栄養を送りたい」と私が思う時、その栄養とは、愛のことだ。
パパ、癌って言葉の悲壮感やびっくり感に惑わされないでいようね。さかむけが治るように、擦り傷が治るように、青アザやたんこぶが治るように、パパの身体の全部の栄養が癌を治すよ。
栄養を世界中から、カラダいっぱい吸い込んで、生きてね。
里菜