希望は、人の形をして現れる
人間はすごい。山を崩すことができる。人間はすごい。嘘みたいだけど、山を崩して海を埋め立てるなんてことを思いついてやってのけるのだ。子どもじゃないよ、大人の話だよ。
山を崩して海を汚す人間のことを私はずっと、地球上で最も滅びるべき生き物と思ってきた。そんな人間として生まれてきたことが恥ずかしいから早く死にたいと思ってきた。早く死にたいと言ったらみんなが心配することを少女の私は知っていたから、言わなかった。
人間と地球が素敵な関係を築けることを、諦めたんだと思い込んでいた。本当の事は、その真逆だった。私はそれを一度も諦めたことなんてなかったんだと気がついてびっくりした。
気がつかせてくれたのは、人間だった。
WindEagleという最高に素敵な大好きな私の先生がいる。古代マヤ文明から北米ネイティブアメリカンに伝わる叡智を、守り生き伝えつづけている私の大好きな先生。深遠な叡智を、ひとりひとりが平和として生きると言う観点から学ぶ輪、ファーストピースサークル。トレーニングを受けて私も開催できるようになったのは2017年のこと。世界の平和は、1人の人間の内なる平和から始まる、そのことを実践していく叡智のサークル。
これまでに少人数やクローズドで、4回開催してきた。それは全部その時々の私の表現したいことに合わせてアレンジしたものだったけど、今回の5回目のサークルは今までと全然ちがう。もっとシンプルに、もっと深く、もっと広く、この叡智を分かち合う。ひでといっしょに。それが2月に始まった。
やると決めたら箕面の山がとてもわかりやすく呼んでくれたから、そこで開催することにした。土地と人はいつでも影響しあってる。人間と人間が影響し合うのと同じように。誰がくるのか全くわからなかったけど、人はやっぱりちゃんと、山と私たちの呼びかけに応答した。近くから遠くから、色とりどりの人が集まって始まった。
一緒にやるひでとは、このことについてずっとおもいを重ねあってきた。ひでは本当にすごい。まっすぐで頑張り屋で勇気がある、とってもとっても繊細でやさしい人。私の傷が生み出すドラマにちゃんと相手をせず、浅いレイヤーでわかり合おうとするとバウバウ吠えるようにNOを言い、忍耐強くど真ん中を一緒にやろうじゃないかと言い続けてくれた。もっともわからなくて、もっともわかる人。ひでとだったら見れる景色があると私の中で鐘がなった。
とにかく私たちはちきゅうとしごとをしたいのだ。イルカとくじらと私たち、を生きたらどうなるのかを思うと本当に鐘が鳴るのだ。それをやるのだ。その始まりが、箕面でのファーストピースサークルだった。
私たちが鳴らした鐘の音に、大地の響きに共鳴して近くから遠くから集まった色とりどりの人々は、サークルの始まりから、言葉を美しいたまのように扱った。神聖な輪だった。「あなたはどうしてここにいますか」という問いを受けて、ただただハートにあるものを分かち合う人々。それをただ聴く人々。言葉になること、ならないことの、はざまに佇んで、言葉をたまのように場に差し出してくれる。たっぷりの沈黙が私たちを親しくもした。
まだほとんど何も伝えていないのに。全員が初めましてなのに。1日が終わる頃には、私たちはお互いをよく知っている、という感覚になっていた。
経歴は知らない。人柄も知らない。ただ、私たちはお互いを知っている。お互いが感じる存在であることを知っている。あなたがそこにいることを知っている。あなたは、言葉になりにくい音楽を、香りを、色を、からだいっぱいにたたえて、そこに現れていてくれているのを知っている。
私がまだ言葉にしていない、内側の夢の中で味わっているものを、人が言葉にしてくれた。私とひでが何度も合わせてきた想い、まだ私たちがみんなに言葉にして伝えていないことは、ことごとくみんなの口から言葉となって現れてきた。
私は最初の2日間で何度も泣いた。人間がすごいから。人間は本当にすごい。こんなに柔らかくて、他の存在を愛することができる存在は他にいないと思った。やっぱり地球に人間がいてよかった、だから地球には人間が必要なんだ、という言葉が何度も旗を振るみたいに私のなかに現れた。
「神聖さとはなんでしょう」の問いを受けて分かち合われた言葉の全てに震えた。全ての言葉が私を震わせた。闇も光も、醜も美も、強いも弱いも、痛みも喜びも、とにかく全てのことを慈しみと悲しみと愛の眼差しで話す人間たち。その姿にずっと抱えてきた怒りや悲しさや無念さや希望が、はじけた。
人間がみんなこんなふうだったら、私の育った山は無くならなかったのに。私の愛した海は、綺麗なままだったのに。そうやっていじけてきた気持ちがまるで成仏したみたいになった上に、目の前に希望が、人の形で現れている。涙は出るけど、記憶は消えないけど、そこに憎しみや悲しみはもうなかった。あったのは、人間って本当にすごい!っていう拍手と感激だった。ほらね、人間って、やっぱりすごいんだよ。
世界の先住民の言葉にたびたび、人間は地球のケアテイカーです、という言い方を見ることがある。だけど私としては、人間は、地球をケアする係じゃない。人間は、地球と一緒にはたらく存在なんだ。私の内側の目は、お互いにリスペクトしあって、手をつないでいる地球と人間の様を見てる。ほぼ、ひとつとして。
参加者に、1人の小学生の少年がいる。近くの滝に挨拶に行った帰り道、ひでが少年に尋ねた。「地球は私たちと何をしたがっているでしょうか」。
少年は歩きながらしばらく考えて、答えた。「きれいな景色とか、そういうのをたくさん見せて、それを見てもらいたがっている。そしてそういうのが心の中に積み重なった時に、どう見えてるか、どう思うのかを教えて欲しがっていると思う。」
彼の言葉は私の中にすこぶる優しい台風を巻き起こす。
私は地球が好きで、人間を信じてる。この先何度いじけても、またびよんとここに戻ってくる。地球と人間の素敵な関係を私は一生諦めない。この人たちが見せてくれた地球と人間の可能性を、ずっとずっとお守りにする。胸を痛めたり心震えたりえずいたりいじけたりしながら、希望が見えてしまっているそっちを歩く。諦めの悪い私にバンザイして、精一杯生きていこうと思う。
今、箕面のサークルは2つ目の原則を終えたところ。そしてもうすぐ、四日市でのファーストピースサークルが始まる。なんてうれしい毎日だろう。
一緒にまるくなろうぜ人類。
今日もみんなにげんきがありますように。
平田里菜