イギリス3 憧れの画家との対面
旅にまつわる音楽を聞きながら、記事をお楽しみ下さい♪
運命の出会い
「これは実際の、印象派の絵です」
ドビュッシーの音楽を習っていた時、印象派の絵画を講義で見せて頂いた。
ブーダンやマネなど、モネに繋がる画家達の絵が配られて行く。
その中の一枚、黄色のまばゆい光の中で輝くヴェネチアを描いた絵が、私の目に飛び込んで来た。
「先生、この絵を描いた人は……?」
「ウィリアム・ターナー。イギリス人です」
「ターナー……!」
家に帰ってもそのことを忘れられず、私はその絵と画家のことを母に伝えた。
「すごい画家の絵を見たよ。ターナーって知ってる?」
「ターナー、もちろん!ママの大好きな画家よ。理菜がお腹の中にいる時、ターナー展を見に行ったわ……。理菜に生命が宿って初めに見た絵は、ターナーの絵なのよ」
直感で強く惹かれるものがあったが、まさかお腹の中から既に見ていた画家だったとは知らなかった。
それからというもの、私は必ずターナーの絵を実際にイギリスで見ようと心に決めていた。
旅のクライマックスを、ナショナルギャラリーで
こうして、イギリスを代表する美術館「ナショナルギャラリー」を、イギリス観光のクライマックスに選んだ。夕方のウィーン行きの飛行機までに素晴らしいコレクションが散りばめられているこの美術館を周り切ることは、私にはとても頭の使うことだった。
ウィーン美術史博物館、プラド美術館、ルーブス美術館でも存在感を示している巨匠達が、ここナショナルギャラリーでも大きなインパクトを残していた。
背景には、つい先日まで参加していたコンチキツアーで訪れた、オランダ、スイス、イタリアなども登場した。
それはたった一週間から数週間前の出来事のはずなのに、既に彼らがとても恋しくなり、懐かしい気分になった。
巨匠達の絵画は、やはり何らかの形でインスピレーションを与えてくれたが、その中でもたくさんの輝きを感じたのが、クロード・ロラン(ジュレ)の『海港』だった。
早朝、活気を帯び一日が始まろうとしているその風景は、輝かしい栄光に向かって突き進んでいた時代のイギリスとも似ている気がした。
憧れの画家とついに対面
時代は進み、時間内に無事ターナーの絵画までたどり着けた。
黄色や白を効果的に使った、インパクトの強い彼の絵。
実際に見るとますます引き込まれ、一つ一つの絵に溶け込んでいくような感覚に陥った。
『ホメロスのオデュセー』では、古代の伝説の英雄の様な気分になり、『英雄とレアンダの別れ』では、彼らの心情を想う。
さすが、お腹の中から親しんだらしい画家だけあり、不思議な絆を感じる。
そして『戦艦テメレール号』に来た時、再び足が止まった。
描かれた夕日は『ホメロスのオデュセー』以上にドラマティックだが、それはただウットリするのとは何かが違う感動だった。
そして、左の船へと目線が移る。
美しい姿をしているものの、どこか寂しそうなテメレール号と、手前の物悲しい黒船が気になり、説明を読む。
ドラマティックなその絵画を更に
絵画は実際には『解体のため最後の停泊地に引かれていく戦艦テメレール号』という題名で、詩句の引用がされていた。
『戦いに、嵐に勇敢に立ち向かった旗は、もはや彼女(=テメレール号)のものではない』
時代が変わり、ある時代には重宝されていたはずのテメレール号は少しずつ時代にそぐわなくなり、そして解体の時を迎えた。
とっさに、下落したアイドルや映画俳優・女優、実力の衰退で引退するスポーツ選手などが頭に浮かんだ。
テレメール号は、ロンドン・アカデミーを前年に辞職したターナー自身にも例えられているとある。
「うーん……残念な話。私は一生何事においても、テメレール号のように解体されず、ずっと輝き続けたい……」
絵そのものには魅了されたものの、当時の私はテメレール号の解体を受け入れられなかった。
これから更なる輝きを増して行く、自信や誇り、未来しかない学生や若者にとって、この絵を真に理解するのは、当時の私のように難しいかもしれない。
ギャラリーショップでも、ターナーの他の絵は迷いなく手にしたが、この『戦艦テメレール号』を見かけた時は一瞬手が止まった。
でも私は最終的に何を思ったか、それも手に取り購入した。
生きてきた中で一番長い、約25日の旅はこうして幕を閉じ、私はターナーの絵画と共に第二の故郷、ウィーンへ戻った。
その後、解体されるテメレール号を受け入れられるようになることなど、この時はまだ知るよしもなく。
どうして「その絵」は人気がある?
『戦艦テメレール号』を目にした人々は、私も含めなかなかそこから動けなかった。
またギャラリーショップでも、『戦艦テメレール号』の絵画は、他のターナーの絵よりも圧倒的に売れていた。
なぜ、この絵はこれだけたくさんの人を魅了するのか。
それは、『戦艦テメレール号』が、この絵を描いたターナーのみでなく、生まれて来る人の人生そのものだからだろう。
誰もがテメレール号の様に、勇敢に最前線で戦い、そして輝く時がある。
それはまるで、真昼の太陽のように。
それがほんの小さい子供の頃か、ローティンの頃か、学生時代か、社会人になってからか、それともリタイアしてからかーそれは人によって違うし、誰にも分からない。
その時は確実に、その人に合わせた形で、平等に訪れる。
世界で一番幸せなのは自分だと確信できてしまうほど、毎日が喜びのみで溢れ、全てがうまく周り、絶好調だと感じる、そんな時が。
だが、それは永久には続かない。
このテメレール号が解体される様に、人もまた解体の時を迎える。
それは、それぞれの分野での引退や退職、人生でいうと死を意味するだろう。
テメレール号の解体に合わせて、太陽もサンセットになっている。
輝く時が人生の早い段階で来た者は特に、人生に解体があることを拒みたくなる時があるだろう。
イギリスを旅したあの頃や、幸いにも長く続いた輝きの時から目を覚ました頃の、私のように。
何事にも寿命はあるし、人生はこの絵の様にドラマティックではかない。
「輝く時」に全力で輝けたら、??にも誇りを持てる
でも戦艦テメレール号のように、輝く時にエンジンを全開にし、この世で自身の輝きを散らし切ることが出来たら、テレメール号の様に解体の時がやって来ても、厳かに誇りを持って、解体=終焉へ向かって行けるだろう。
まるで、落ち着きを持った美しい夕日のように。
必死で永久の輝きに食らいつくよりも、引き際を悟ったら美しく引く。
荘厳な引きも、解体テメレール号からは学べると思う。
テメレール号が受け入れられたとしても、まだ受けられる段階でなかったとしても、この『解体のため最後の停泊地に引かれていく戦艦テメレール号』は、ナショナルギャラリーでぜひとも見て頂き、ターナー、イギリス、そして自身の人生に想いを馳せて頂きたい。