オランダ2 アンネ・フランクに会いに (コンチキツアー1-3)
ずっと参加したかった、英語を使った国際ツアー「コンチキツアー」での思い出です。
旅にまつわるBGMを聞きながら、記事をお楽しみ下さい♪
チーズ工房にて〜チーズ試食とオランダ木靴の試着
コンチキツアー2日目の朝、サイクリングでチーズ工房に行く予定が、雨で自転車は使えなかった。
「自転車の国」としてのオランダは体験できず、私達の機嫌は少々下がったが、風車は重い雲の下でも、機嫌を悪くすることもなく動き続けていた。
チーズ工房で美味しいチーズを試食したり、つま先がとんがった可愛らしい木靴を試着しながら、私はコンチキツアーメイトのジュリー達と、午後の自由時間に何をするか話していた。
アムステルダムで、まず行きたい場所
「アムステルダムで、まずどこに行こっか?」
「時間がなくならない様に、まずアンネ・フランクの家に行ってみたいかな」
日本語も少し教えているという、オーストラリア・パース在住の教師・ケイトが即答した。
「アンネ・フランク、オーストラリアでも読まれているんだ?」
「もちろん!世界中でベストセラーだよね!」
私も小学校4年生の頃「アンネの日記」を一気に読み切り、大きな衝撃を隠せないまま読書感想文を書いた。
ツアーメイト達も大体、小学生の頃に初めて、「アンネの日記を」を読み、ほぼ全員が、アンネ・フランクの家に行きたいと思っているようだった。
チーズ工房からアムステルダムに向かい、私はツアーメイト達と早速、彼女の家を訪れた。
絶対に訪れてほしい、「アンネ・フランクの家」
チケットを渡し博物館に入ると、北米、オーストラリア、中南米、どの国のツアーメイトも、おのずと表情が引き締まり、「アンネ・フランク」はまるで、世界の共通言語の様だった。
博物館で隠れ家の構造などを見た後、実際に「回る本棚」を通り隠れ家を見ることが出来た。
最後の最後まで、何があっても希望を失わなかったアンネ。
ノルマンディー作戦が進み、ついに隠れ家を出て、夢に向かって歩き出せる日が近い喜びを、日記に生き生きと語ったアンネ。
しかしその直後、ナチスに逮捕された。
それでも収容所で、毅然と人間らしい生き方を失わなかった。
ただ飢餓や病気には、この美しく強い心を持った少女も勝てなかった。
「アンネはこの隠れ家で、ジャーナリストを、作家を夢見てたのね……」
震える声で、ツアーメイトが静かにつぶやいた。
アンネの明るい笑顔の写真と、生き生きとした少女らしい日記。
それとは対照的な、非人道的なナチスの虐待。
「恨みや憎しみって、何て恐ろしいんだろう」
「アンネの父オットーの言う通り、過去を学んで、未来に活かすの、大事だね……」
気付いたら、全員涙を流していた。
アンネ・フランクは予想以上に、私達にたくさんのことを教えてくれたように思う。
なかなか文で、この時の感情を表現することは難しい。
ただ、近現代の曲を演奏する時、ふとアンネ・フランクの家を訪れた感情を、思い出すことがある。
オーストラリアの教師・ケイトは感情が抑えきれず、嗚咽していた。
「何て、感受性が豊かなんだろう……この後、観光続けられるかな?」
友人の心配をしながらも、私も博物館で生まれて初めて、涙を流した。
憎しみや嫉妬、貧困を無くすためには
ホロコーストはもちろん、差別や戦争をして何も良いことなどないということ。
憎しみや嫉妬、貧困は、ヒトラーや武装集団をはじめ、元々はどこにでもいる普通の人を、どこまでも恐ろしくしてしまうこと。
アンネ・フランクの家は、それらを私達に語りかけてくれている。
「嫉妬、憎しみ、貧困を増大させないように、私が音楽や文章、芸術で伝えられることは何だろう……」
答えはなかなか出て来なかったが、経済・心の貧しさから、憎しみや嫉妬の発言が多い人に寄り添ったり、少しずつ痛みを和らげることが、芸術でも少しは出来るんじゃないかと思った。
WWII(第二次世界大戦)を身をもって体験した人々はどんどん亡くなっているが、戦争を知らない私達も積極的に、博物館などでその惨さを体感して、暴力、差別、戦争に反対して行くことが、今後、より平和な世の中を目指す上で大切だと思う。