見出し画像

ドイツ3 美しい薄明の、ラインフェルス城(コンチキツアー1-9)

ずっと参加したかった、英語を使った国際ツアー「コンチキツアー」での思い出です。
旅にまつわる音楽を聞きながら、記事をお楽しみ下さい♪

オプショナルツアーも多い、コンチキツアー

「ビール飲み放題のオプショナルツアー、行く?」
「私は、古城を散策したいから、パスかな。ジュリー、写真をいっぱい撮って来てね!」
「分かった!Rinaも、古城の写真いっぱい見せてね!」
こじんまりしたドイツのホテルで、お肉を中心としたボリュームたっぷりのドイツ料理を頂きながら、コンチキツアー参加者達はディナー後の予定を話していた。

コンチキツアーには、たくさんのオプショナルツアーがあった。
ツアーが始まってから参加できるものもあり、参加の可否は、日本のツアー以上にフレキシブルだった。
仲良くなって来ても、特定のグループで四六時中べったり一緒にいるのではなく、目的が違ったら兄弟や親友でも、別れて行動する。
それも、コンチキツアーのいい所だと思う。

古城散歩の誘い

この日は、ビール飲み放題がついたドイツの民族ショーということで、ルームメイト・ジュリーをはじめ参加する人がほとんどだった。
不思議なことに、誰かが参加しないと分かると、親切にも同じくオプショナルツアーに参加しない子から声をかけられる。
「Rina、今からビール飲み放題のツアーに行かないんだって?何するの?」
「古城から、ライン川のサンセットを見たいなと思って……!カーラは?」
「ちょうど私も、南米のグループの子達と古城に登ろうかって話してたの!セリオも来るよ。あなたも一緒に行かない?」
「嬉しい。もちろん!」

こうして私は、オプショナルに参加しなかった唯一のブラジル人、メキシコ人のツアーメイト達と、古城を目指して散歩した。
2人のブラジル人やメキシコ人は単体で参加していて仲良くなれていたが、5人の女子大生で参加していたブラジル人グループは、まだあまり話せていなかったから絶好のチャンスだった。

「みんな素敵なファッションだなぁって、ずっと見てたんだよ!話せて嬉しい!」
「私達も、Rinaから日本のこと、聞きたいなぁって話してたんだけど、どうしても5人でいると、5人で盛り上がっちゃって……。気軽に話しかけてね!」
「ありがとう!ブラジルといえばリオのイメージだけど、みんながいるサンパウロは、リオと似てるの?」
「治安が、リオよりも落ち着いてるかな。サンバは同じ位、人気なのよ!一緒にパーティーに、行きたいね!」
「僕もメキシコから近いのに、まだブラジルに行ったことがないんだ。コンチキの同窓会はいっそ、ブラジルでしよっか!」

踏切のない線路

なぜかドイツで、ブラジルへもしばしバーチャル旅行をしながら散歩するという贅沢な時間を楽しんでいたら、私は思わず、言葉を失った。
「Rina、どうしたの?」
「ここ、線路があるのに、踏切がないよ?」
なぜか、私の発言に皆が笑う。
「何か、おかしいこと言ったっけ?」
「だってRina、そんなの僕のメキシコでは普通だよ!特に、田舎の町はね!」
「ブラジルもメキシコと一緒よ!さすが日本、テクノロジーが発達しているのね!踏切のない線路は、ないの?」
私は、しばし考えた。
四国や東北の小さな村でも、確か踏切はあった気がする。

「そうだなぁ……私が知ってる限り、見たことないと思う。でも、日本全国旅行したら、あるのかも?」
「すごい国だね、日本!いつかみんなで、遊びに行こう!」
そんな話をしながら、彼らは線路に座り出す。

「ええっ?……電車、急に来ない?」
「大丈夫よ!線路って、電車が通ってない時って、静かで平和なんだよ」

線路に座った感覚

実際に線路の上に座ってみると、のどかな気分になった。
鳥のさえずりが聞こえ、風が私達の間を、優しく通りすぎて行く。
日本の慌ただしい電車や、ウィーンの少し荒々しい地下鉄とも、全く感じが違う。
「鉄道オタク」と言われる人達の気持ちがそれまで全く理解できなかったが、電車の形の違いだけじゃなく、こういう空気感の違いにも、彼らは魅力を感じているのかもしれない。

私達は、その平和で時がゆったりと流れる線路でグループ写真を撮った後、線路の乗り越え、ラインフェルス城へと上がって行った。

いざ、古城に入城

「このお城、昔は要塞として栄えてたけれど、18世紀に廃城になったんだって」
「今は、高級ホテルになってるって。泊まってみたい!」
ポルトガル語やスペイン語で書かれているガイドブックを見ながら、彼らは英語で一生懸命説明してくれる。
「教えてくれて、ありがとう!確かに、トリスタンみたいな騎士が、この門から白馬と一緒に現れて来そう」
ワーグナーが似合う、男性的な古城だと思った。
そして私達が古城を散歩している内に、重い雲から夕陽が姿を表した。

曇りのち晴れ

「すごい!南米から太陽を運んで来てくれたの?」
「メキシコは、太陽のマヤ文明があるあらね!」
「なぁに、ブラジルだって、サンバの国だよ!太陽、待ってたわ〜!」
みんな、太陽の登場に大喜びだ。
架け橋を通り抜けると、既にだいぶ上の方まで上がって来ていたのか、ザンクトゴアールと父なるライン川、そして対岸の村までもを見渡すことが出来た。

こうして城から景色を見渡しても、ライン川は堂々としたイメージがある。
「ワーグナーだけじゃなくて、バッハ、シューマンやブラームスの名曲も、この父なる川から生まれたものもあるのかもしれない……!ウィーンに帰ったら、色んなドイツの曲も聴きにコンサートへ行こう!」

最後の最後で晴れてくれたドイツに感謝しながら、私のクラシック音楽への想いもますます高まったのだった。
当時ここで戦った騎士の気分で、望遠鏡で遠くを眺めてみたり、騎士気分でトイレを楽しんだり、私達は好き放題、このラインフェルス城でのタイムスリップを満喫した。
これまた騎士用に作られたかのような急な階段などを使い、頂上まで近い場所まで登り切ると、ピンクの薄明が私達をかすかに照らしてくれた。

ピンクの薄明、そして夜の到来

「みんなで来れて、良かったね!」
私達は次々にそう言い合い、それから薄明から夜へと向かう空とライン川の変化を、静かに見守った。
それ以上、言葉はいらなかった。
誰もが、同じ感動に包まれていた。

空の色が濃くなると共に、ぽつり、ぽつり、とゆったり灯される電球までもが、このゆったりと時が流れるザンクト・ゴアールや、時空に取り残されたラインフェルス城に寄り添っているかのようだった。

堂々としたラインフェルス城はいつ行っても、私達を騎士気分にしてくれると思うが、ぜひ、夕方にも訪れて頂きたい。
そこで見る夕陽、ライン川や、色合いを変えて行く両岸の町々は、そこに来るまでの天気が曇りや雨であればあるほど、劇的なものになるだろう。

「曇りのち晴れ」が多い国、ドイツ

コンチキツアー以後も、私はウィーンから時々、ドイツを訪れた。
ロマンティック街道や、ウィーンとの共通点もたくさん感じられるミュンヘン、ルードウィッヒII世とワーグナーの夢の城・ノインシュバインシュタイン城など、特に南部はドイツ人の友人のおかげでたくさん見て回れた。
また、格安航空でシチリアへ行くために滞在したマミンゲンという小さな町での友情や思い出も、素晴らしいものになった。

北部も、近代史の舞台となったベルリンは絶対に行こうと決め、こちらもドイツ人の友人のおかげで実行できた。友人が連れて行ってくれたカレーソーセージスタンドで食べたソーセージがあまりに美味しく、私はしばらく、昼も夜もソーセージばかり食べていた時期もあった。

どの町へ行っても朝や昼は曇っていることがあっても、夕方はなぜか、晴れてくれることが多かった。そんな「曇りのち晴れ」で夕陽を楽しめた時は、初めてドイツを訪れた、このラインフェルス城からの美しい薄明が思い出され、それぞれの町の友人に、思い出を話した。

「ドイツは晴れることが少ないのに、Rina、君はラッキーだよ」
「うん。何でか、最初は曇ってることが多くても、最後は晴れてくれることが多いかな」
「また来いって、ドイツに言われてるんだね!」

オーストリアの隣国だったにもかかわらず、「隣国だからいつでも行ける」と後回しにしてしまい、ケルン、ライプツィヒ、ドレスデン、ボンやハイデルベルクといった町は、まだ訪れられていない。
このラインフェルス城や、後日マミンゲンやベルリンで見られることになった、「曇りのち晴れ」の美しい夕陽も見に、コロナ終息後、ドイツも再びじっくりと訪れたい。

#ドイツ #ラインフェルス城 #サンセット #コンチキツアー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?