どんな自分なら、愛せるの?
綺麗な心の人に触れると感動する。
すごいなぁ、って。
その一方で 見えてきてしまうことがある。
それは、「綺麗じゃない」自分の心。
比べてしまうことで浮き出るのよね。
「綺麗な心のフリ」はできる。
オトナですもの。 オトナ歴も立派に長いですもの。
でも自分が一番わかってる。 そんなに綺麗じゃない、って。
綺麗な心じゃない自分も、 綺麗なフリをする自分も、 たまにイヤになることがある。
そんなモヤモヤ。 たまに来る。
綺麗な心の持ち主は 「フリ」じゃなくて 本当に「ホンモノ」なんだろうか? と、どこかで疑ってみたり。
私は綺麗な心のフリを続けるとしんどくなる。 マネしてみてもしんどくなる。
『どんな自分であっても そんな自分を好きだと思える状態』
それが理想と思ってたけど、たぶんそれは理想じゃなくて本来あるべき姿なんだろうな。
「あるべき」じゃないか… 本来の姿、かな。
心が綺麗な自分じゃないと愛せない。
それは違うんじゃないかなと思い始める。
これからきっと心が綺麗になっていく。
すべてを感謝に変えさらに 自分のステージを上げていけば…。
そんな自分に期待を込める。
なんか、それも違う気がする。
怠惰や嫉妬や承認欲求…。
それらを抱えたままの自分。
抱えたままでいい。
そこから抜け出そうとしなくていい。
綺麗な心の持ち主に なろうとしなくていい。
そのままでいい。
おそらくだけど、 そう心から思えるのが 自分を愛すること。
自分を変えようしなくていい。
その許可を自分に出せた時、 フッと力みが抜ける。
一番受け入れてもらいたい人に 受け入れてもらえた感覚がする。
変化を決意することも素晴らしい。
だけど今の自分を受け入れずに そこから抜けたいがために 変わろうとしてもしんどいだけ。
変わるのが素晴らしいのではなく、 変わろうとしなくてもいいと 自分をまるごと受け入れること。
諦めとは違う、受容。
今の自分も大好きだと言えること。
メンタルブロックを外すという、 抱えてた制限を外し変化をもたらす お手伝いを提供している身としては、 少し矛盾っぽかったりもするけれど。