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本質的な学びってなんだろう

通信の大学に通い始めて感じることのひとつに、「本質的な学びとは何か」というものがある。


例えば英語の授業。シラバスに記載の「目指す姿」には以下のことが書いてある。

これからの国際社会に対応していくためには世界的公用言語である英語でのコミュニケーション能力が必要である。高校までの暗記を中心とした受験英語や学習とは違い、表現力を重視した、読む・書く・聴く・話す、の四技能を養い、実用的な英語を使いこなすためには、日本語とは異なる英語の言語学的特徴(発音、文法、語法等)を理解することが大切である。また、英語という言語の背景にある、主にアメリカを中心とした英語圏の文化の理解にも重点を置く。

これだけ見ると「確かにそうだよな頑張ろう」と思う。


でも実際はどうだろう。

オンライン授業にて私が「スピーキング練習用にテキストの音声ファイルが欲しい」と伝えると、教授からは「自分の一存では決められないから通信教育部に確認します」と言われ、そして次の時間、もらった回答はNOだった。

「確認したのですが、教授用のしかないので配布はできないみたいです」

え、英語の授業で今時音声もらえないって、そんなことある????


代替案もこないのでさらに聞いてみた。

「ちなみにこの授業のアーカイブって限定公開でもいいので復習用に共有いただけたりしますか?」


「それも私の一存では決められないので、通信教育部に確認しますね」

あーだめだ。絶対だめなやつじゃん伝書鳩。


「確認したのですが、そちらも公開はしてないみたいです」

もういいて。

仕方がない。音声ファイルは週明け出版社に直接問い合わせて購入できたらすることにしよう。


でも、でもさ。

英語の長文読解のテキストの和訳を頭からお尻まで、口頭で共有してそれメモとらせて90分4コマ終わってるんだよね。この授業日本語しか喋ってないんだよね。

で、あるならば最初から和訳掲載したドキュメント配布する、だけで終わるよね。
というかシラバスに書いてある「話す」「聞く」は完全無視なのね?


みたいなことが今日あった。


百歩譲ってこの教授だけがこういう状態なのか、はたまたこの大学が「そういう学習の仕方をする大学」なのか。

それがこの大学を選択した私のせいなのだったとしても、曲がりなりにもここは公認心理師という国家資格を取得するために「通うことが必須とされているカリキュラム」を持つ、全国でも数校しかない通信大学のひとつである。

それなのに初めて参加したスクーリングで、「単位だけ取ってもらえればいい」という雰囲気を私は勝手にひしひしと感じてしまった。


とはいえ、あーだこーだ言ったところでこの課題に対して私が動ける訳ではない。
こういうのも合わせて自分でなんとかするのが大学なんだなあ(くそくらえ)。とだけ思うことにした今日この頃。


どの環境に置かれたとしても、目的と手段が逆にならないようにコントロールするのは自分自身。


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