「季節はめぐる 希望はつづく」 『(500)日のサマー』
※この文章は映画のネタバレを含みます
『(500)日のサマー』は、夏のラブストーリーではない。サマーという女の子に恋した男の子の、約一年半にわたる片思いと成長の物語だ。
トムはギフトカードなどの文言を作る会社(どんな会社?と思われると思うが、まあそういう会社なのだ)に勤めている。ザ・スミスなんかのロックを聞くのが好きで、小さい頃から運命の女性に巡り合えないと幸せになれないと(ちょっと強迫観念的だが)思って生きてきた。
そのトムのオフィスに社長のアシスタントとしてある日やってきたのがサマーだ。彼女は愛を信じない女の子。「私は自立して自由でいたいの」というような、フェミニストっぽいことも言うけれど、その次の日にはコピー室でキスしてきたりする。男子からすると本当に魅力的だから勘違いしてしまうのだけれど、いくら関係が深くなってもいつまでもその心が掴めなくて不安が絶えない、そんな女の子だ。なので劇中ではサマーをある種そういう女性のシンボル的に描いているところもある。
トムはサマーを初めて見た時ーー会議中、サマーが社長にメモを渡しにきた時ーー、恋に落ちてしまう。でも高嶺の花かなーなんて思いながら遠巻きに眺めていたら、ある日エレベーターで一緒になった時にトムのヘッドフォンから漏れ聞こえてきたザ・スミス(けっこうアクの強いイギリスのロックバンドだ)の曲をサマーが耳にして、二人に共通の(しかもマイナーな)趣味があることが明らかになる。その後二人は会社のカラオケで行ったパブでお互いの恋愛観の話をしたりして急接近、その次の日が先ほどお伝えしたコピー室でのキスシーンである。最高かよ。
その後も二人の最高は続く。二人で手をつなぎながら夫婦のまねごとをしてじゃれあったIKEAデート、ポルノ映画を二人で見て実践してみたシャワーセックス、前の人より大きい声で言わないといけない縛りで、みんないる公園で「ペニス」と交互に言い合っていくという最高に猥褻でくだらないゲーム、、、(友人に聞いたらこのゲームはアメリカの中高生の間ではポピュラーらしい)。二人は端から見てもお似合いで、トムはサマーと一緒にいるおかげで仕事でもいいアイデアを連発するようになっていく。
しかし。しかしなのだ。これがこの映画最大の仕掛けなのだが、結論から言うとトムはサマーに振られる。いや、振られるというか、そもそも付き合ってもらえないのだ。先ほど最高シーンの一つに挙げたIKEAデートの時点で、トムはサマーに「私付き合う気はないの」と言われている。もっと言えば、二人が急接近したカラオケパブでの恋愛観の話の時点でもうすでに、運命の愛を信じるトムに対して「私愛とか信じてないのよね」みたいな話になっている。でも、言葉はそうでも行動はそうじゃない。急にコピー室でキスしてきたりとか、IKEAデートで付き合う気はないといった日の夜にはサマーが裸でベッドで待っていたりとか、もうトムはサマーに振り回されに振り回されるのだ。台風の日の傘でもこうはならない。でも、二人は付き合ってはいない。
この「恋人未満?」な500日を、楽しくて最高だった日や、関係が冷え切ってもう楽しく話せなくなってしまった日、まだキスまでしかしてなくてでも希望しかなかったあの頃や、彼女があまりにも自分から離れていってしまってもう絶望の底でしかないあの日に、行きつ戻りつしながら私たちは二人を見守っていく。だから鑑賞体験としては、IKEAデートのシーンで「いやもう最高かよ!IKEAがこんなに輝いてるの見たことないわ!」みたいに大はしゃぎした次のシーンで、げっそりした顔でエレベーターから出てくるトムを見て胸が痛くなったり、もう乱高下が実に激しい。でも、こういう「時系列で見せない」ところがこの映画成功の最大の要因であると思う。
トムは結局サマーとは付き合えなかった。それどころか、愛を信じていなかったはずのサマーは、あろうことか別の男と急速に発展して結婚してしまう(ふざけんなー!ってなる)。それに引き換えトムはもう会社も自暴自棄になって辞めてしまう。ずっとベットで寝ている。そんな毎日に落ちていってしまう。でもこのお話は、ーー僕はこれがこの映画の本当に優れた点だと思うのだがーーバッドエンドでは終わらないのだ。絶望と怠惰の底にいたトムはある日、一念発起して、本当に自分がやりたかった建築の勉強を再開する。そして再就職に向かって努力し始めるのだ。あれほど運命の人だと思ったサマーは今はもう別の男の腕の中で、自分はそのサマーに振り回され続けて職も失った。でも、見方を変えればそれがトムの本当に生きたかった人生へ向かうための変化のきっかけになったとも言えるのだ。そして最後のシーン、面接の待合室でトムは一人の女性と出会い、あることを確信する。
これはある見方からすれば、とても後ろ向きな諦めのように聞こえるだろう。しかし、この映画ではその偶然の残酷さを、この世界に潜んでいる無限の可能性の豊かさの証として描いている。私たちの能力ではそれは知覚できないかもしれない。しかしそれは実際にあるのだ。その希望を確信をもって描き切って、この映画は幕を下ろす。
トムは最後のシーンで待合室で意気投合した女性を面接後にコーヒーに誘う。「わかったわ、面接終わったら見つけるわね」「ありがとう、僕はトム」「私はオータムよ」
季節はめぐる。希望はつづくのだ。
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