やさしい吸血鬼の作り方11
「吸血鬼を出せ」
彼は固い声で、そう言った。
「な、何言って……」
「わかっているんだ」
カヅキの問いかけを聞く気がないと言わんばかりに遮って、先頭に立つ男が言う。
「わかっているんだ、カヅキ。お前が何者かをかくまっていることは」
白髪の交じりはじめた茶髪を短く刈り上げた青年――、キナロはこの村の数少ない退治士だった。そして退治士の中では比較的若く、こういった際に先頭に立つことが多い。
実質的な村の自警団のリーダーである。
その彼がこうして目の前に集団を引き連れて立っていることの重大さがわからないほどカヅキは愚かではなかった。だからと言ってはいそうですか、とミヤマのことを差し出すわけにもいかない。
(ララの奴……)
舌打ちが出そうになったのをすんで堪えた。漏らしたのは、おそらくララだ。
(隠してくれるって言ったのに……)
歯がみする。別れ際、彼女の言葉に嘘は感じられなかった。だというのにこのような事態になったのは、ララの心境が変わるような何かがあったのだろうか。
「先日、我々の村で被害者が出た」
その件はカヅキもサンドラから聞いて知っている。屍食鬼の襲撃を受けてすぐだったため、死体を隠すのに相当焦ったのだ。
ぎろり、とキナロの灰色の瞳がカヅキのことをにらんだ。
「不審人物を見過ごすわけにはいかない」
かろうじて誤魔化すように笑みを作ってはいるが、カヅキの頬は冷や汗が伝っていた。真っ昼間にもかかわらず身体が凍えるように寒い。
一体何をどう言い訳しても言い逃れられる気がしない。
(ミヤマさんのことを、今のうちに外に逃がすか……?)
カヅキは内心で首を横に振ってその案を打ち消した。この集団に見つからずに家から抜け出るような抜け道はない。カヅキは視線を横へとずらす。入り口付近と窓にその人員は集中していたが、おそらく家はぐるりととり囲まれている。
(力尽くで脱出してもらうこともできるけど)
その場合はおそらく村人に被害が出てしまう。たった一人で7匹の屍食鬼を倒してしまうような猛者を、猟師に毛が生えたような退治士兼自警団が相手にできるはずがない。
そしてそうなった場合、おそらくミヤマはもうこの場所を訪れることはないだろう。すなわち、野放しになってしまうのである。
(それはダメだ)
ミヤマは吸血鬼に対する知識をつけつつある。けれどどんなに穏やかに笑っていても、時折垣間見える危うさがあった。孤独は簡単に人を追い詰める。彼のようにいかにも光の当たる場所を歩いてきたような人物にはなおさら、それは堪えるだろう。
(それに……)
思い出すのはミヤマの言葉だ。
『丁度君ぐらいの年頃の、13歳くらいに見えた。赤いキャップ帽をかぶり黒いフードのついたパーカーを羽織っていた』
カヅキの脳裏に思い浮かぶ人物がいる。事の真偽を確かめる前に今、ミヤマを手放すわけにはいかなかった。
(どうするか……)
しかし焦るばかりで思考は空転を繰り返す。目を泳がせて沈黙を続けている今現在の状況が、どう考えてもカヅキが何者かをかくまっていることを明白にしていた。黙っていてはダメだと思うのに、どうしても二の句が継げない。
目の前の人物を中に入らせまいとばかり考えていたカヅキにとってはほとんど不意打ちで、背後からかたん、と小さな音がした。
その音の意味を考えるより早く、身体が先に反応した。
「出てくるな!」
「もういいよ、カヅキくん」
カーテンを閉め切った薄暗い部屋からぬっ、と巨体が姿を現す。その図体の大きさに驚いたようにキナロは仰け反った。おそらく吸血鬼を退治する気はあっても、こんなに屈強な男が出てくるとは思わなかったのだろう。ミヤマはその切れ長の真紅の瞳で、そのような気は本人には一切ないのだろうがすごむように睨みつけた。
カヅキの目の前にいたそれなりの年齢の大人達が、皆一歩後退った。
(こえぇ……)
見慣れているカヅキでもそのように暗闇から登場されるとちょっとびびった。あと目が怖い。
彼は怯える周囲には頓着せず――というか気づかず、カヅキを庇うようにその前へと立った。カヅキが抗議の声を上げようとするのを手で制する。
「俺がカヅキくんにかくまわれていた不審人物だ。けれど、君たちの友人が亡くなった件には関与していない」
「口先だけのそんな言葉を信じると思うのか?」
キナロは怯えを抑えるように松明を掲げて見せる。その熱と光にミヤマはわずかに不快気に目を細めた。
「俺はトウキ山に住むヒシ族の者だ。里を何者かに襲われたため、ここまで逃げ延びてきたんだ。疑うなら里まで案内してもいい」
「ヒシ族だと……? あの絶滅危惧種の引きこもりが、こんな山の下まで来たと言われたってな」
キナロは鼻で笑う。ミヤマの弁明など聞く気はないといわんばかりの態度だった。
「事実は単純だ。お前が来てから、俺らの村に被害が出た。お前以外に怪しい者などいないんだ」
「……そうか、ならば出て行こう」
「ミヤマさん!?」
説得は無理と諦めたのか、あっさりとミヤマは首肯した。その腕にカヅキはすがりつく。
「なんで! 何にも悪いことしてないじゃん!」
「カヅキくん、迷惑をかけてしまって本当にすまなかったね。この礼は後日必ずしよう」
これ以上君に負担をかけるわけにはいかないと微笑むミヤマに、「何を馬鹿なことを」とキナロは声を荒げた。
「逃がすわけがないだろう! 俺達の家族を殺した薄汚い化け物め! お前はここで死ぬんだよ! 大人しく投降するなら楽に殺してやる!」
そう言って彼は松明を仲間にあずけ、背中に背負っていた猟銃を構える。これ見よがしに銀の弾丸を装弾すると、銃口をミヤマの心臓へとぴたりと合わせた。
それをミヤマは、怯えるでもなく腕を組んで見下ろした。
その目は不愉快さを隠しもせず、刃物のような瞳が鋭く剣呑に尖る。
「君たちが俺を疑う気持ちはわかる。だからなんの根拠もないその濡れ衣を背負って出て行くことまでは承知しようと言ったんだ。けれど武器を向けるというのならば話が違う」
ぎろり、と大型の肉食獣が獲物を見るように眼光を細めて周囲を睥睨した。
「お前達が武器を持つのならば、俺も武器を持って応えよう。お前達が俺を殺そうというのならば、俺もお前達に死をもって応えよう」
そうして組んでいた手を広げて見せた。その手に武器はない。けれど、そこにはお前ら程度は素手でどうとでも出来るという強者の余裕があった。
牙を剥きだしにして、彼が不敵に笑う。
「さぁ、かかってこい」
空気が張り詰めた。誰一人として身動きが取れない。キナロは撃鉄を起こして引き金を引くだけのその行為ですら、彼が襲いかかってくるきっかけになるのではと思うと出来ないようだった。
場が、凍り付く。
誰かが、苦しげに息を吐いた。
「もうっ、やめろよ!」
カヅキが叫ぶと同時にその声に身を震わせたキナロが引き金を引いた。しかしその銃弾は震えた身体のせいで全く明後日の方向へと跳ぶと森の木を打ち抜いて終わった。
カヅキはそれに息を飲みつつ、素早くミヤマの前へと回りこみ、両手を広げた。
「カヅキく……」
「ミヤマさんは悪くない!」
ミヤマが何かを言う前に遮って、腹から声を出して怒鳴る。
カヅキはその黒い瞳に燃えるような怒りを宿し周囲を囲む人々を鋭く睨みつけた。目の前で起きた出来事全てが腹立たしくて、耐えがたかった。
「ミヤマさんは吸血鬼なんかじゃないし人を襲ってもいない! 見ろよ! 現に太陽の下に平然と立ってるじゃんか! 誰か聖水を持ってきてかけてみろよ! なんにもおこりゃしねぇよ!!」
それは嘘だ。ミヤマは吸血鬼だった。聖水もニンニクも効果はないが、太陽の陽射しと銀には多少のダメージを受ける。けれど悪い吸血鬼じゃない。決して、この村の住民を襲ったりはしていないとカヅキには断言できる。ここ数日を四六時中一緒に過ごしていたのだ。他の誰かにはわからなくても、カヅキだけにはそれを証明することができる。
そう、これはカヅキにしか証明できないことだ。ならば、
(俺が今、ここで黙ってるわけにはいかない)
ミヤマを庇ってやれるのは、ミヤマの味方をしてやれるのは、今この場にカヅキしかいないのだ。
「村の人を襲ったって化け物がいるなら、俺が捕まえてやるよ。俺達が捕まえてつきだしてやる。そうすりゃ納得するだろ」
カヅキの言葉に彼らはざわめいた。どうしたものかと皆口々に話し合う。しかし迷っている彼らの思考を裂くようにキナロは猟銃をドンッと地面に叩きつけると、ゆっくりと口を開いた。
「お前は騙されているんだ、カヅキ。そいつが例え吸血鬼じゃなかったとしても、人を襲わなかった証明には……」
「それに!」
なんとかカヅキを説得しようとするキナロの声を振り切るようにカヅキは声を出す。これ以上この後ろにいる誠実な人を貶める言葉は聞きたくはなかった。
きっ、と目を吊り上げて猫のように威嚇しながらカヅキは断じる。「ミヤマさんが人を殺すなら、きっと刃物でぶっ刺すかこの筋肉でぱきっと首の骨を折るぞ! そんな殺され方してたのかよ! そいつは!」
カヅキの発言に皆の視線がミヤマに集まった。
ミヤマはその視線にわずかに居心地が悪そうにみじろぐ。
190は優に超えるであろう長身に、がっしりとした骨格と鈍重さを感じさせない引き絞られ鍛え上げられた体躯。
コートを着ていてもわかる体格の良さと筋肉に誰かがぼそりと呟いた。
「確かに……」
「そこに納得するのか……?」
ミヤマが呆然とぼやく。一瞬でしらけた空気をなんとかしようとキナロは咳払いを一つした。
「信用することは出来ない。だが、わかった。確かに日の光に当たって平然としているそいつは吸血鬼には見えない」
「じゃあ……っ」
ぱぁ、と顔を明るくするカヅキを止めるように手を突き出して「信用はできないと言っただろう」とキナロは渋い顔をする。
「証明できるというのならば証明してもらおう。もちろん、怪しい行動をしないように監視をつけさせてもらう。……少しでも不審な行動をしたら、その瞬間に銀の銃弾が貴様の頭を打ち抜くと思え」
「そこは心臓じゃないのか?」
わざと挑発するように、小馬鹿にした口調で再び腕を組み直しながらミヤマは笑った。
その態度を咎めてカヅキはミヤマの腕を叩く。
こちらを見たミヤマに目線で黙っていろ、と睨みを利かせた。
せっかく良い方に話が転がっていっているのに本人に台無しにされてはたまらない。
彼は肩をすくめて、けれどカヅキに逆らわなかった。
「わかりました。ぜってぇ真犯人を捕まえて証明して見せます!」
だから、とカヅキはキナロを真っ直ぐと見つめて告げた。
「もしも、本当の犯人が見つかったら、ミヤマさんに謝ってください。疑って悪かったって」
「何を……」
「カヅキくん?」
カヅキの正面と背後にいる男達はこぞって疑問の声を上げた。けれどカヅキは首を横に振って譲らない。
「間違ってたら、謝ってください。そうじゃねぇと、俺……」
カヅキはうつむく。今は顔を上げられる気がしなかった。
「ミヤマさんに、申し訳ないです」
それがカヅキの勝手な罪悪感の押しつけだということはわかっていた。カヅキのほうが本当はキナロよりも酷い。まだ何も悪い事をしていないことを知っていて、それでもミヤマが今後悪い事をするのではないかという可能性を疑っている。
未だに疑っていて、そばを離れられないでいる。
「……わかった」
カヅキの声音に譲れないものを感じ取ったのか、キナロは静かにそう頷いてくれた。
「疑いが晴れたならば、真っ先に謝罪をしよう。だから、くれぐれも期待を裏切ってくれるなよ」
カヅキは俯いたまま、ミヤマの服の袖を握った。その手をミヤマは、安心させるように大きな手で握ってくれた。
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