[小説]デブでブスの令嬢は英雄に求愛される 第21話
防具や武具は決して新しいものではないが、よく手入れをされた質の良いものだった。
(随分と整えられた軍備だこと)
その光景を見てミリディアは嘆息する。
基本的に国境沿いでもなければ各領地で私兵を抱えることは禁止されている。護衛を数名雇う程度ならばお目こぼしが与えられるが、この数は明らかにそのお目こぼしの範疇からは漏れていた。
けれど罰することは難しい。なぜなら彼らは自警団。生粋の領地の民であり、しかもその先頭に立つ者すら領主とは関わりのない平民なのである。
(必要なものを購入する資金の流れなどがあれば摘発も出来るかも知れないけれど……)
しかしご時世がご時世だった。黒竜の侵略が懸念されていた現状で、国王は都市部はともかく地方の領地の裁量は各々の領主へと投げていた。
資金だけはかろうじて提供し、各自備えるように、とお達しを出したのだ。
揚足とりのために残された『各領主は私的な戦力を保有してはならない』という法律を立てにすることは出来なくはない。けれどジュリアの立場を考えると、生かしたほうが利益を生むと国王は考えるだろう。
何せ外貨を稼ぐ有数の商店と工場、そして観光地を保有する伯爵様である。
(ぎりぎりを見透かしてやっているわね)
駆け引きと己の立場というものをわかっている。
ああ、肯定しよう。ジュリアは確かに領主として、貴族として、そしてリーダーとしては優秀だ。
だからこそますますわからない。だってその優秀さは本来ならルディにとっては目障りなもののはずだ。
恋愛感情や立場を利用して何かを成し遂げようとしているのだとしたならば、彼女のようなこざかしい人間はあまりにも騙す対象としては不適格だった。
――それとも、まさか本当に、
(その優秀さにルディは惹かれたとでも言うの?)
だとしたら、ますます認めがたい。
だって、それならばミリディアは。
ずっと王女として清く正しく振る舞ってきたミリディアは、その優秀さに値しない人間だということなのだろうか。
「殿下」
派手な祭りのその片隅でぽつりと立っていたミリディアに、彼は声をかけた。いつもならば嬉しくてたまらないその視線が、今は素直に見返せない。
「ここにいらしたのですね」
その言葉の後にも彼は何かを言ったようだったが、それは一際高い人の歓声にかき消された。
思わず視線を向けた先では大きな噴水が上がり、人々がそれを笑ってはねのけながら踊っている。
気がつくと楽団員が噴水のかからない位置に陣取り、明るいジルバを奏でていた。
「良い場所でしょう、レーゼルバールは。活気があって」
「明るすぎて、少々不快だわ」
あからさまなその言葉に、ルディは苦笑したようだった。
「人によっては、確かに眩しく感じることもあるでしょう」
再び歓声が上がる。人々の視線の中心では牛の着ぐるみを着た女が噴水の水を跳ね上げてぐるぐると回っていた。
それで踊っているつもりなのか、とミリディアは顔をしかめたが、ルディはまた別の感想を抱いたらしい。その姿を目を細めて見つめると「俺にも、少し眩しいです」と呟いた。
その瞳はどこまでも柔らかく、暖かな何かを宿しているように見える。
「……見苦しいの間違いではなくて?」
「殿下……」
思わず口をついて出た嫌みに、そこで初めてルディはミリディアを咎めるような声を出した。そのようにいさめられるのは、これまでのルディとの付き合いの中で初めてだ。
(初めてがこれだなんて)
屈辱だ。
自分が惨めで情けなかった。
戦場で咎められた方がまだましだった。だって戦場は彼のフィールドだ。けれどこのような社交の、しかも人に対する態度においてはミリディアの方が分があるはずの事柄であった。その不作法を咎められるだなんて。
「ルディ」
「申し訳ありません。出過ぎた口を……」
「私、貴方が好きよ」
隣に立つ彼が息を飲むのがわかった。けれどその目を見ることもしないで、放り投げるようにミリディアは告げる。
「はしたないだなんて注意はなしよ。貴方がちっとも求婚してくれないから、仕方なく私から言っているのよ」
そこでやっとの思いで面を上げる。彼は翡翠の瞳を見開いて、こちらを凝視していた。
まるでそのようなことを言われるなんて想定していなかったと言わんばかりの顔だ。
それに少しだけ胸がすく。
「それで貴方、どうするの?」
少し前までは断られることなど想定していなかった。いや、そもそも自らからアプローチを起こす必要性すら感じてはいなかったその意思表示に、男はわずかに戸惑ったように視線を落とし、彷徨わせてから瞳をミリディアへと合わせた。
その翡翠にはしっかりとした明確な決意が宿っている。
「申し訳ありません」
その場に膝を付き、うなだれるように深々と頭を垂れる。
「なぜ……」
そうは問いながら、薄々断られる気はしていた。そもそもここで頷くようなら、最初から王宮で褒美としてミリディアに求婚していたことだろう。
「俺には、望みがあるのです」
「望み?」
「高望みとも言うべきものです。本来ならば到底俺の手に入るようなものではない、そういった類のものです。けれど、俺はどうしてもそれが欲しい」
彼の顔が上げられる。その表情を見て、ミリディアは息を飲んだ。
いままで見たことがない顔をしていた。
戦闘中のようにぎらついた、けれどその時よりも理性をなくして煮えたぎるような、凝縮した欲が詰め込まれてとろりと溶け出すような濃密な緑の瞳。
いつも紳士的で物腰穏やかな彼が到底浮かべるとは思えないような、獣じみた渇望がそこには宿っていた。
「貴方様の思いに答えられないことを心苦しく思います、ミリディア殿下。けれど貴方様にはもっと相応しいお方が他におられるはずです」
ぐっと拳を握りしめて口内の頬を噛む。表面上に感情を晒すような恥ずかしい真似はご免だった。
ありきたりな断り文句の中でも、「他に相応しい人間がいる」だなんて文言はだんとつで最低だ。例えそれが真実だったとしても、一世一代の告白を断った当人が言うべき台詞では到底ない。
例え他に「ふさわしい相手」が存在したとして? だから一体なんだと言うのか。
(私は今、他でもない貴方がいいのよ……っ)
ふさわしさなど、誰も求めちゃいないのだ。他の見たこともない誰かなど知らない。今目の前にいる貴方がいいのだと、けれど叫ぶことがミリディアには出来ない。
ミリディアの背後には護衛と侍女が当然いる。垣根を一つ隔てた先には生誕祭に参加する有象無象も存在していた。
そんな中で、王女であるミリディアが取り乱すことなど。
腹に力を込める。静かに鼻から息を吸い込んで、出来るだけ長く細く吐いた。
「わかりました、ルディ」
意識して唇に微笑を浮かべる。わずかに溢れそうな涙はぐっと目を開くことで堪えた。
「ありがとう。困らせて悪かったわね」
「いいえ、こちらこそ申し訳ございません」
そう言って再び深々と頭を垂れる男は、そのようなミリディアの努力には欠片も気づいていないようであった。
「私、少々気分が優れないわ」
だからミリディアも素知らぬ顔を作るとそう言って扇で軽く顔を隠した。そうして背後に控えていた侍女達に視線を走らせる。それだけで優秀な彼女達は主の意図を組んで道を空けるように移動した。護衛達もミリディアの移動に合わせて配置を変えようとした時、
「お楽しみかしら? ミリディア殿下?」
牛の声がした。――否、正確には牛の着ぐるみを着た馬鹿な女の声だ。
あまりに不躾で無礼なタイミング、そして声の掛け方。
怒りを抑えようとするあまり、ミリディアの動作が固くなる。ギギギギ、とまるで機械のようにゆっくりとそちらを振り向いた。
シミだらけの顔に意志ばかりが強く輝く青い瞳、そして輝く満面の笑み。
ミリディアの我慢の尾が切れた。
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