[小説]やさしい吸血鬼の作り方10
「カヅキ先生の吸血鬼講座ぁー!」
いえーいとカヅキは拳を突き上げた。ギャラリーはノリの悪いミヤマただ一人だ。
ぽかん、とこちらを見上げるミヤマに向かって、カヅキはもう一度拳を突き上げて見せた。
「いえーい!」
「い、いえーい……?」
さすがのミヤマもカヅキが求めているところを察したらしい。戸惑いながらも拳を真似して突き上げる。
それにカヅキは鼻息荒く頷いた。
満足である。非常に。
部屋の壁には白紙が何枚も貼り付けられて一面がまるで一枚の大きな白板のようになっていた。そこにカヅキはペンでさらさらと文字を書く。
『第一回吸血鬼講座 講師カヅキ』と意外にも達筆な文字で書くとカヅキは存在しない眼鏡を押し上げるような仕草をしてみせた。
「今日はビギナーのミヤマさんの疑問にカヅキ先生が答えて行きたいと思いまっす!」
えへん、と胸を張るカヅキはいつもの赤いパーカーの上にぶかぶかな白衣を着ている。
突発的にミヤマを置き去りにして開催された今回の講義は、本や文献だけではなかなか理解しきれなかった吸血鬼の生態についての質問がかなりの量に及んだことに端を発する。
疑問点が出てくるとミヤマはその都度質問をしてきたり、そこに書かれていることが本当に事実なのかを確かめるために自らの身体で試して見るといった行為を繰り返していたが、それがあまり効率的とは思えなかったゆえの今回の講義である。
正直に言うと、カヅキが一々質問にその都度答えることに疲れたのだ。
(こーゆーふうにすればまとめて説明出来るし、質問も後からばらばら聞かれることもねぇはず!)
という思いつきだ。
なんの予告もなく叩き起こされて椅子に座らせられたミヤマには良い迷惑である。
ミヤマはちらり、と窓を見た。カーテンが閉められているが、その向こうからはわずかに昼の光が漏れ出している。
しかしそんな生徒の困惑は置き去りにして、カヅキの講義は開始された。
「はい! ではまず吸血鬼と屍食鬼の違いについてから説明しましょう!」
カヅキは棒人間を3体描く。そしてそれぞれに吸血鬼、屍食鬼、人間と種族名を割り振った。
「まず、屍食鬼。これは肉食の動物です。以上!」
「え、いやいやいやいや……」
そのあまりに簡潔過ぎる説明にミヤマが待った、と手を挙げる。
「それだけかい? 一応人に近い存在なのだから……」
「さほど人に近くはないです」
しかしそれをカヅキは一刀両断にする。屍食鬼と書かれた棒人間に鋭い爪と牙、そしてその背中を曲げて若干前傾姿勢へと描き直した。
「屍食鬼は見た目こそ人間に擬態していますが、その実情はただの獣です。猿にも劣る知的能力で、道具を使うことは出来ない。爪と牙で獲物を狩る。彼らは脳が小さいのです」
実際屍食鬼と人間を取り違えることなどはほぼない。見た目が似ていると言っても、彼らは服も着ず、その行動も野生の獣そのものであった。
「それに対して吸血鬼、彼らは……、ほぼ、人間と同一の存在です」
「同一って……」
「同一です。遺伝子的には99%、同じ生物です」
カヅキの黒い瞳がミヤマの戸惑いを黙らせる。それを確認してからカヅキは再び白板へと向かうと吸血鬼の棒人間に牙を付け足した。少し考えてから爪も少し長く伸ばす。
「それは何故か。それは――彼らが人間をベースにした存在だからです」
「……」
ミヤマは無言で挙手をした。どうやら流れを遮ることはよろしくないと学習したらしい。それにカヅキは最もらしく頷くと「はい、ミヤマさん」と指名した。
「眷属はともかく、真祖は違うのではないかい」
「大変良い質問ですね」
にやり、と笑ってカヅキは再び眼鏡の位置を直す仕草をする。
ノリノリである。
カヅキはびしっと音を立てんばかりの勢いでペンで白板に書かれた吸血鬼の文字を差し示して見せた。
「しかし真祖も同じなのです。真祖と眷属の違いは、生まれる前に感染したか、生まれてから感染したか、という違いだけですから」
「生まれる前?」
「ええ、胎児の時、母親の腹の中で感染した子どもが、真祖の吸血鬼となるのです」
「一体、何に感染するというんだ」
その質問にカヅキはおや、と目を見張る。
本当に良い質問をする男である。
「何にだと思います?」
「焦らさないでくれ」
ミヤマの批難にカヅキは首をすくめて答えを白状した。
「寄生虫に」
「寄生虫?」
ミヤマは眉を顰める。回答が予想外だったのだろう。
一般的に俗説として、吸血鬼というのが感染によって派生することは知られているが、その由来は細菌やウイルスなどに求められることが多い。しかしそれでは、真祖が眷属を作るか否かを自身の意志で決められる説明が付かないのだ。
もしも細菌やウイルスなら、吸血された相手はもれなく、あるいは無作為に感染しなくてはおかしな話だ。
「そう、寄生虫です。それも、分裂によって増殖する」
「まさか、その分裂した個体を……」
「そう、傷口から侵入させる」
こつこつと靴を慣らしてカヅキは部屋を歩き回る。手にしたペンを教鞭のように振るい、講釈をたれた。
「寄生虫というのは非常に興味深い生態を持っているのです。種類によっては、宿主の意志や行動にすらも関与することができる」
ミヤマは自分の首筋へと手を当てる。自らの意志が犯されるのではないかとの恐怖にさいなまれているのだろう、その顔面は蒼白だ。そしてその恐怖は現実に起こりえるものであった。
「とはいえ、そんなにあからさまに性格の変化があるわけでもないようです。まぁ、眷属のことは俺もあんまり詳しくは知らねぇんですが……」
肩をすくめて見せる。
「少なくとも真祖は、寄生虫と一心同体。寄生虫と宿主は統一意志を持った同一の存在と考えて良いでしょう」
だって、生まれた時からそういうものとして身体の一部に組み込まれて生まれてきたのだ。それ以前がどうだったかなど論じるのも馬鹿らしい。
「さて、真祖の吸血鬼と言う奴は眷属と異なり、それ以外にもいくつかの特徴を持ちます」
与えられた知識を咀嚼仕切れず顎に手を当てて黙り込むミヤマを置き去りにしてカヅキは話を進める。まぁ、一応聞いてはいるだろう。
「何せ肉体が完成する前から寄生されているわけですから、物理的に違いが出てしまうんですよ」
「物理的に?」
「真祖の吸血鬼は、固形物を消化する消化器官を持ちません。また、性別というものも存在しません」
ミヤマは眉を顰める。
カヅキは白板の人間の隣に肉と水と野菜の絵、吸血鬼には水の絵、ついでに屍食鬼には肉の絵を付け加えた。それぞれを円で囲む。
「吸血鬼が主食としているのは糖。これは以前に話しましたね。蚊と同じで蜂蜜や樹液などだけで肉体を維持できるのです。ただ、維持する以上のエネルギーが必要になるとたんぱく質をとる必要がある。すなわち、動物の血液を飲む必要が出てきます。固形物を取る必要のない吸血鬼は、消化器官が退化してしまってるんです」
「俺は食べられるぞ」
「あんたは眷属でしょ。眷属は固形物も食べられるんです。最初のうちはね」
しかしそれも数十年と時を経れば退化して食べられなくなる者が多かった。生物というやつは環境に適応する。良くも悪くもだ。
彼はしばらくしてその事実を飲み込んだのか、顔を上げて「性別がないというのは?」と訊ねた。
「吸血鬼は吸血によって眷属を増やせるから性行為が必要ないということだろうか?」
「ああ、いや、えーと、しないわけじゃないですよ、その……生殖行為も」
カヅキはわずかに羞恥に頬を赤らめた。なんとも、あからさまな単語という奴は口にするのが恥ずかしいものである。
「語弊がありましたね。あの、いわゆる両性具有とか、そういうやつです」
「性行為によって繁殖できるのか?」
「ん、んん~、まあ、一応」
「一応?」
(勘弁してくれ!)
これは一体なんの羞恥プレイだ。とカヅキは内心で悲鳴を上げる。しかし彼は至極真面目な顔をして訊いているのである。恥ずかしい会話だと思っているのはカヅキだけだ。
カヅキは意を決すると、「た、例えばぁ」と声を張り上げた。
「吸血鬼同士でそういうことをすると、その、出来るんです。真祖の吸血鬼が!」
「生まれついて、寄生虫に感染した人物が、ということか」
「そう!」
ぶんぶんと首を縦に振る。この話題を一刻も早く終わらせてしまいたかった。けれど彼はそうは思わなかったらしい。首をひねると「では、眷属というのはなんのために作るんだ?」と訊ねた。
「性行為によって繁殖できるのなら不要では? ああ、そもそも真祖の吸血鬼は吸血鬼同士がそういう行為をしないと存在しえないのか? 寄生虫が成人した人間に寄生してそうして生まれた眷属同士がいたして真祖が生まれるのか」
「そ、そうとも限らねぇけど! ってゆーか、そういうその、こ、行為で生まれることはすごく少なくてぇ、寄生虫が直接胎児に寄生することで生まれることの方が多いんだけどぉ!」
「ああ、じゃあ伴侶を求めるために眷属を作るのか。人間の中から都合の良い相手を選んで吸血鬼にして繁殖するのかい?」
「し、しないよ!」
そのあからさまな物言いにカーっと顔を真っ赤に染めてカヅキは叫んだ。そこでやっとミヤマはカヅキがどんな顔をしているかに気づいたらしい。ちょっと驚いたように目を瞬かせた後、「いや、すまない」と申し訳なさそうにした。
「ちょっと気になってしまって……。でも、違うのかい?」
「違うよ! だってそれって近親相姦じゃん!」
「近親相姦……」
「身内同士でそ、そーいうことするってことだろっ?」
鼻息荒くカヅキが言いつのると「真祖と眷属というのはそういう関係性なのかい?」と彼は不思議そうに首をひねった。
「そーだよ! ただの家族! 基本的に吸血鬼は真祖同士か真祖とよその真祖の眷属か眷属同士でしか番わねぇの!」
「ふぅん」
ミヤマは少し疑うように目を眇めた。それだけでただでさえ鋭い視線が刃物のように尖る。
「詳しいね、カヅキくん」
「詳しくねぇよ!!」
それに気づかずカヅキは叫んだ。
カッカッと頬が紅潮する。恥ずかしくて堪らない。
その態度にさすがにいじめすぎたと思ったのか、表情を優しいものへと変えるとミヤマは再度「ごめんね」と謝罪した。
「いじめるつもりはなかったんだ。ただどの本にもそういったことは書いてなかったから」
「親父の本が全部揃ってるわけじゃねぇもん! なくしちゃったのもあんの!」
「なるほど」
あとは単純に父が面倒くさがって本という形式にはまとめなかった知識もある。乱雑に書面にまとめるだけはまとめたが、そのまま埋もれてまた今度整理しようを繰り返した結果だった。
それだけではなく、わざわざミヤマには説明するつもりはないが、父がわざとそういった内容が書かれた本をカヅキには与えなかったというのも一つの要因だろう。いわゆる教育衛生上よろしくないことが書かれたものを、父はカヅキから遠ざける傾向があった。
(まぁ、それでもこっそり見ちゃったけど)
持ち前の好奇心で父が隠していた本を覗き見していたカヅキである。その内容は隠されていたからこそ、ばっちりと脳内に残っていた。
当時のその内容を見た時の衝撃と嫌に詳細に父が記載していた事実を思い出し、カヅキは元々紅潮していた頬を更に真っ赤に染めて俯いた。
「……、カヅキく、」
こんこん、と扉をノックする音が更に言いつのろうとしたミヤマの声を遮る。
「お、俺! 出てくる!!」
これ幸いとカヅキはその音に飛びついた。ミヤマは心得たようにベッドの下へと潜り込み、それを確認してからカヅキは扉を開いた。
「はいはーい、どちらさん―――」
言葉を途中で切る。いや、切らざる負えなかったというべきか。
開いた扉の先には――。
険しい表情を皆一様に浮かべ、松明を持った住民達がこちらを睨んでいた。
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