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初心に戻る瞬間

みなさんは、初心を思い出すことがありますか?

「初心に戻る」ということは
私が常に日常で意識していることです。

では、何故意識するようになったのかをお話します。


期待を膨らませた18歳春

今から約10年前、私は一般企業に入社し販売員として勤務していました。

18歳で初めて経験した社会の厳しさは、今でも決して忘れることはないですし、この先もずっと心に刻んでいきたいと思っています。

入社前は1人で入社試験を受ける為に地方から東京へ向かいましたが、その時初めて自分のヲタクならではの行動力とフットワークの軽さを心底感心しました。

普通なら親や先生が同行するそうですが、私は着替えが入った紙袋を1つ抱えて1人で新幹線に乗り込んだのです。

そして晴れて試験を突破し、内定を貰った会社が家電量販店の会社でした。

社会人として自分で稼ぐことが出来る期待感や憧れが大いに膨らみ、当時の私の中に不思議と「不安」という文字は存在しませんでした。

今思えば、どうしてここまで期待が大きかったのかも分かりませんが…

この記事で語っているように、不安よりも苦手に飛び込むことで新しい自分になれる期待感の方が大きかったのだと思います。

しかし、その期待を裏切るように私は社会の厳しさを突きつけられるのです。


やっているつもりだった自分の行動

まずは入社式を控えた3日前に新入社員研修がありました。

当時は東日本大震災が起きた年であり、入社がどうなってしまうのか不安にもなりましたが、無事に研修が行われる東京へ向かうことが出来ました。

研修というもの自体をはっきりと把握しておらず、単に「ずっと誰かの話を聞いてるだけなんだろうな」と思っていましたが、そんな甘い考えも開始数十分後には打ち消され、社会の厳しさを目の当たりにしたのです。

そしてついに研修が始まり、私の脳内では人事部長の大声が絶え間なく響き続け、完全に追い詰められたような感覚に陥りましたが、自然と逃げたいという気持ちにはなりませんでした。

それは心のどこかでしっかり、これから社会人としてやっていかなければならないという18歳なりの覚悟があったからだと思います。

そして、販売員として肝である声出し練習がついに始まるのです。

「いらっしゃいませ」
「ありがとうございます」

基本的な声出しを自分の中ではこれでもかというくらいの大声で叫びました。

実際の店舗ではそんな大声で言うことはありませんが、ここは研修の場。

恥を捨ててやらなければ実践でも勿論出来ません。

すると突然、人事部長は私の名前を叫び、こう言ったのです。


「お前がやってるのは全部口パクだってわかってんだ!」

今のご時世だと、パワハラと言われてもおかしくない言葉ですね。

何百人といる研修の中でどうして私の名前を叫んだのか。
さっきから私だってこんなに大声を出しているのに何故口パクだなんて言われないといけなかったのか。

この時も不思議と名指しで指摘されたことに対して驚きはしましたが恐怖は感じず、とにかく頭の中は疑問で埋め尽くされていました。

すると、研修のサポート役の方が私を個別で呼び出し、マンツーマンでの指導が始まりました。

「あなたは口角が下がってるから口が大きく開いてるように見えないのね。」

サポート役の方が私にそう言うと、その時初めて自分が見られている姿に気づき、何故か涙が溢れそうになりました。

私は自分がどれだけ「やっているつもり」でいたのかを痛感し、自分の中ではしっかり声を出しているつもりでも、相手にはその努力が全く伝わっていなかったのです。

この経験を通じて、どれだけ自分が頑張っているかではなく、それが「相手にどう見えているか」こそが重要なのだと気づきました。

社会では、自分の行動が相手にどう伝わるかを意識しなければ、本当の意味で成果を出すことはできないのだと、初めて実感したのです。

店舗へ配属、傲慢な上司や先輩

そんな研修もなんとか無事に終え、正式に配属店舗が決まり安心して地方へ帰ったことを今でも覚えています。

入社当初はとにかく学生気分が抜けなったのが大きな課題でした。

心の中では「自分はもう社会人」と思っていても、それは思っているだけでしっかりと意識が出来ていませんでした。

そんな私も年月を重ね、やっと仕事の内容や立ち回りを覚えて一人前と呼ばれるまで経験を積み上げることが出来ました。

すると同時に、今まで見えていなかったことが急に見えてきたり(おばけとかではないです)仕事内容や人に対して不信感を抱くようにもなりました。

特に、人。

入社当初は優しかった上司や先輩も時にはその時の気分で対応が変わったり、面倒な仕事を部下に押し付けたりするように…

あれ、この人ってこんなんだったけ?
なんで自分は今叱られているんだろう?

まさに「理不尽」という言葉がピッタリで、時には恐怖さえ覚えました。

社会での経験を積む中で、理不尽な状況や人間関係の不透明さに直面することはおそらく避けられません。

それが見えるようになったのは、自分がある程度仕事に慣れ、周りの状況を冷静に見つめられるようになったからかもしれません。

しかし、その一方で、そうした理不尽さに心が疲弊し、仕事へのモチベーションを失いかけることも増えました。

でも、そんな経験があったからこそ心底誓ったことがあります。

「絶対に自分はこんな人にはならない」

自分の気分や感情で仕事を人に押し付けたり、面倒な仕事を後輩や部下に指示したり、そんな傲慢な人間には絶対にならないのだと強く心に誓ったのです。


初心に戻ることで変わる行動

その誓いを胸に仕事を続ける中で、私はやっぱり「自分自身がどう行動するか」だけでなく、「その行動が相手にどう見えているか」が重要だと気づきました。

どれだけ誠実に働いているつもりでも、相手がそれを感じ取れなければ、私が理不尽だと感じた上司達と同じように、周囲から誤解される可能性もあります。

自分の気持ちや意図だけに頼るのではなく、相手の視点を常に意識し、どのように伝わるかを考えることが、信頼される人間になるためには欠かせないのです。

そして、それはきっと、初心を思い出すことで取り戻せる行動だと思うのです。

私も社会人のこの経験があったからこそ、「ハッ!」となり何度も立ち止まりますがその都度初心を思い出すことで行動を改めることが出来ています。

仕事では、年数を重ねると後輩が増え、自分が経験して嫌だった思いを、後輩達にはして欲しくなかったので初心を常に思い出し行動しました。

私生活でも同じです。

今現在、私の生活の中心は子ども達であり育児です。
時には子ども達に「うるさいなぁ」「言うこと聞いてくれないかなぁ」と不満が出てくることも日常茶飯事です。

でも、初心に戻れば、
子ども達と過ごす生活を心の底から願っていたのは誰?
子どもってこういうもんだよね。
じゃあ仕方ないよね。
むしろこの状況って誰もが経験できるものじゃないし、逆に楽しむしかないよね?

と、思ったりもします。

しかし、育児は誰もがこうポジティブに向き合えるものではないので、あくまで自己流です。

みなさんも今の生活を思い浮かべてみて、何か思うことはありますか?
もし、何か後悔することや疑問などがあるのなら、一度初心に戻ってみてください。

初心に戻ることで、私達は当初の純粋な気持ちや、他者に対する謙虚さを思い出すことができます。

初心に戻り、自分が本当に大切にしたいものを見つめ直すことで、道は再び開けるのだと思います。

これからも、私は「初心」を忘れずに、目の前の仕事や人に向き合って成長していきたいです。

そうすることで、自分自身も、そして周りの人達もより良い方向に進んでいけると信じています。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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