あの頃の夢
今回は、『あの頃の夢』というテーマで、
過去の自分を振り返っていきたいと思います。
全然、記憶がないので、小学校低学年くらいから振り返ります。
小学校 低学年
お父さんがトラックドライバーなので、
当時の夢は、「トラックドライバーです」と言ってた(?)気がします。
母親が美容師だったので、そっちにも憧れてたような気がしますが、
女の子っぽくて恥ずかしさがあり。
周りには言えなかった記憶だけ残っています。
この年代は、
あまり記憶が定かではないので、この辺にして…
小学校 高学年
小学校、高学年は結構、現実的。
卒業文集のアルバムには、『正社員』と書いていました。
みんな「野球選手」とか「サッカー選手」と書いてる中、1人だけ異彩を放っていました。
父親から、「オレが、派遣社員みたいやん!笑」と言われた記憶が今でも鮮明に残っています。
なんで、こんなことを書いたのかは覚えていないですね。
とりあえず、なんか人と違うことを書いてやろう!と思って、書いたんだと思います。
とても擦れた小学生でした。
中学生
中学生の頃の夢は、『ジャニーズ』
自分は本気で、松本潤になれると思っていました…
痛すぎる中学生時代…
なんで、こんな思考になったのかは覚えていません。笑
多分、ジャニーズになれば死ぬほどモテるやん!!!
って思ったんだと思います。
本当にここら辺は、何も考えずに生きていたんでしょう。
恥ずかしいので、この辺で終わります。笑
高校 1〜2年生
高校1〜2年生の夢は、『医者』
高校1年生の春に、当時付き合っていた彼女に浮気され、
「オレって何も価値がない男なんや…」と思って、勉強に没頭した僕。
平均年収を調べたら「医者」が1番上だったので、医者になったら元カノを見返せるはず!!!
と思っていました。不純すぎる動機ですね…
高校の先生からも、めちゃくちゃ医者を激推しされていましたが、
なんとなく「本当にやりたいのか?」っていう違和感はずっと感じていました。
そして、高校3年生で、本当にやりたいことが見つかりました。
高校 3年生
高校3年生の夢は、『国際支援』
アフリカに井戸を作ったり。
カンボジアの地雷を撤去したり。
途上国にご飯を届けたり。
っていうのを、してみたいな〜と思い。
九州大学に入りました。
この夢が生まれたのは、
中村哲っていう医者が、アフガニスタンの人を救うために井戸を作ってるって話を聞いた時。
「医者なのに、井戸!?どういうこと!?」
って衝撃を受けました。
医療技術があっても、綺麗な水がない国はそれだけで死んじゃうんだそうです…
本質的にはこういうことで人のためになりたい!って思った記憶があります。
それで今の大学に…
でも、大学ではすぐ違う夢が、笑
大学生
大学は、すぐにコロナが。。。
半年くらい誰とも話さない期間が続き、鬱気味に。
そこで本質的に、
「誰と一緒にいるかってめっちゃ大事やん…」
ってことに気づき、フリーランスになることを決めました。
国際支援から、全然違いますよね、笑
そんな感じで、今に至ります。
コロナも本質的な意思決定をさせてくれて、「ありがとう。」って感じですね。