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藍染インターン【京都での3週間】

 資本主義社会の中で、資本ではなく、歴史を追い、伝統を残すことに人生をかけている京藍染師がいる。私が京都にきたきっかけはその人の元で3週間インターンをするためだった。

陸さんとの日々とその中で学んだことをここに記す。



染色との出会い

 心の声を聴き旅をする中で、色に惹かれる自分に気づいた。
日本では465色もの色がある。なぜそんなに多くの色が生まれたのか?

 それは豊かな自然とともに生きていたから。
先祖たちは花や山、野や海の色どりを身にまとい、自然から色を見つけ、名前をつけた。自然という言葉は明治に出来た。つまり、それほど自然は暮らしに内包されていたということ。

自然とともに暮らし、季節の移り変わりとともに豊かな感性を育む日本人の精神性とはどんなものだろう?

 いつからか、人は自然を使うようになった。目先の利益のために、ともに助け合ってきた植物や、虫や、動物、海のことを人が所有するものだと捉えるようになった。

 再び自然とともに生きるヒントが染めの中にある、そんな気がした。
好奇心を掻き立てられた時、偶然SNSで知り合った同世代の子が染物をしていた。

「1か月ほど染めを学べるところを知りませんか?」

そうして繋げてくれたのが京藍染織をしている松崎陸さんだった。


京藍染師 松崎陸 

 2013年、大学卒業後、ニューヨークで「Japan Blue」を知った。藍染との出会い。京都で200年以上続く染め屋、染司よしおかの展覧会に行き、自然の動植物から染められる色を見て魅了される。その後染司よしおか5代目当主、吉岡幸雄先生に弟子入りし6年間の修業を経て、2021年に独立。Riku Matsuzakiとして京藍を残すために活動している。無農薬での藍の栽培からアーティスト活動、教育にも力を入れている。


作品を制作中の陸さん



京藍を残すための活動

1、土から生まれ土に還るものづくり

 900坪の土地で藍を無農薬で育てることからものづくりは始まる。インターンをした7月は、炎天下の中、染色と並行して雑草取りに励んだ。自ら育て上げた京藍と木灰汁からなる京藍染は、化学染料を一切使用しない天然の染色。それは、地球規模の視点からものづくりと向き合っているから。
自然の恩恵をうけて作品をつくるからこそ、自然と土に還るようなものづくりをしている。

無農薬の藍畑

 藍染と聞くと天然染色と想像する人が多いのではないか。だが実際は約9割は染色の工程の中で化学薬品を使用しているという。用途の目的としては、色が濃くでるように、早く色が出るようになど。薬品を使用する過程で発生する亜硫酸ガスは気管支や目に障害が出る劇薬である。だが、その事実を買い手だけでなく、使用する作り手が知らないことも少なくない。この事実を知り驚いた。

「知らない」という危険性。
「事実を知ることが難しい」社会。

 知らない本人が悪いというよりも、事実を知ることが難しい現状が背景にある。藍染のキットを買う時に、有害物質や人体、環境への影響は前面に出されていない。

事実を知ったとき、驚きのあとに虚無感が残った。
天然だ、藍染だ、と言って、間違った事実で踊らされている自分、社会。

無知ゆえにおこる被害。意識を変えようとするにはあまりに大きい壁。
正そうとするのはただのエゴなのか?

 陸さんは現代の薬品建ての工程から蒅が日本で作られた室町時代の技法まで遡り、全ての技法を試してきた。その中で薬品がもつ害を知り、時間や費用がかかるなどのデメリットがあっても危険性があるため使わない。
 
  陸さんも虚無感を感じたことがあったのではないだろうか。変えなければいけない壁があまりに大きいことに。それでも今、陸さんは戦っている。
目の前の人のために、地球のために、真実を告げる。その生き様に私は胸が熱くなった。これからも事実を知り、虚無感を抱くことがあるだろう。それでも、私も歩み続けたいと思う。

2、本物を残す

 京藍は約100年前に都市化に伴い滅びた。
なぜ陸さんは一度滅びた京藍を復活させ、人生をかけて向き合っているのか?
工房に弟子入りした当初、京藍を残そうなんて思いはなかったと話す陸さん。修業時代に、文献から日本で最も品質の高い藍をつくっていたのは京都であり、偶然にもその産地が地元、京都の洛西であることを知った。さらに自身の一族の家紋が京藍で染められていたことや、約250年前に京藍を再興すべく命がけで活動した先人の存在を知り、京藍と自分との結びつきを感じていった。
化学薬品を使わない天然染めを正藍染と呼ぶが、正藍染と称する中にも薬品を使っているところがあったり、染めが天然でも藍を栽培する過程で化学肥料や農薬を使っているものが多い。それが天然染めと呼べるのだろうか。
それなら栽培から染めまですべての工程を天然で行っていることを証明するため京藍染という名を付けた。


「歴史をたどれ」

陸さんが師匠から受け継いだ言葉。
 正倉院に1300年前に藍で染められたものが、今も鮮やかに色づいている。現在の技術では1300年、色を保つことはできない。昔の技術が今よりも高いということ。表面的なものが流行しては消えていく社会で、1300年残る藍染をつくるのはなぜか?

「当時の職人と俺は戦っている」

目先の利益ではなく、本当に価値のある色、ものにこだわり、歴史をたどり、最高地点を経てから未来に進もうとしている。

 最初は陸さん1人で京藍を残すことを背負っているのだと思った。
確かに、今生きているのは陸さんだけだけど、時を超えて、命をつないでくれた先人たちがともにいるのだと感じる。先人が残してくれた、時代をこえた綱を陸さんも握っている。

表現に垣間見えた世界


 上の写真は、藍の染液の表面である。
藍は微生物により色が変化する。藍と木灰を混ぜ発酵することで色が出る。発酵が進むと青い色素を出し、発酵が止まると茶色い水に変わる。

微生物は目に見えないが、生きている。
藍の染液の表面はまるで月。
1つの惑星の中で暮らす微生物をみて、陸さんは言う。

微生物も人も同じ。
みな違うけれど、繋がっている。


 今の社会は宗教、国籍、肌の色、性別など多くの分類をし、戦争、格差、差別、互いに違いをみつけては傷つけあう。だけど、人間も空から見ると島や大陸しか見えず、ひとりひとりの人間は見えない。宇宙からみたら、みな地球人なのだ。
藍の液で、微生物がともに生きているのと同様に、地球という惑星の中でつながっている。陸さんは藍と向き合うことで、宇宙の心理を感じ、作品を通して私たちに訴える。

過ごした日々のこと


 1週目は心身ともに環境に慣れず苦労した。工房にはクーラーなんてないし、畑仕事した次の日は疲労で身体が動かない。学ぶことが沢山あるのに頭と体がついていかない葛藤。

 2週目は慣れてきた故か、自分の慢心、怠惰が出てきて、陸さんへの反発心が生まれた。そして、そこに正面から向き合ってくれた。

 3週目は学んだことを整理して、実践しようと奮闘していた。

 陸さんは藍、染色について教えてくれるだけでなく、人として心の在り方についても日々話をしてくれた。嫌われるのが怖いからこそ、相手の直した方が良いところを伝えないことが私は多かった。厳しい言葉に反発心が芽生えることもあったが、今ならわかる。自分が嫌われることよりも、私のことを考えてくれるからこその言葉だった。

事象はすべて自責であること。
自然も人もすべてつながっていること。
目先の利益ではなく、歴史をたどり、最高地点を経てから未来に進むこと。

 甘えたがりで、飽き性な私の根性を叩き直してくれるような時間だった。
「苦しい」と思う時もあったけど、そこには愛があったから、逃げずに食らいついていこうともがいた。

資本主義の社会の中で、資本ではなく、歴史を追い、京藍を残すことに人生をかけている。その背中を間近で感じることが出来た3週間だった。

「やれるかどうかじゃなく、やれるまで続ける」

夢を追いかけている人だから出てくる言葉。
一流とよばれる人は「本気さ」が一流なのだ。本気で生きる。

陸さんから繋いでもらった多くのことを私も繋げられるようになりたい。
言葉でなく、生き様で示せる人になりたい。

3週間ありがとうございました。
本気で生きます。

2024 6/17~7/8 京都 陸さんとの3週間


最後につくった作品
二人ともよく焼けてますね笑




 最後までよんでくださりありがとうございました。
よかったら自由にコメントしてくださいな(o^―^o)
 

☆陸さんのHP、ぜひご覧ください


 この記事は私の旅の記録とともに、京都で出会った3か月で消えるお金、祭コインの加盟店取材も兼ねています。
3か月で消えるお金について興味がある方は下のNoteを読んでみてください~!



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