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人間らしく、美しく
「勝手に理由を求め勝手に苦しんで、勝手に怒り、満たされない自分に落胆するのは、最も人間らしくて美しい」そう思えるようになった訳について。
「環境も心も変わることは当たり前で、失うものは元から私のものではない。そして私に必要ない」これが、喪失感に包まれた時に思うようにしていたこと。
諦めのようなものもこちらを覗いているが、潔さと効率を重視すると、これが最も手っ取り早い。なんというか、清々しい。
落ち込むこと、考えすぎることを無駄な時間と言うことがある。実際そうだ。しかし、無駄には『有意義な無駄』と『無意義な無駄』との二種類がある。
負のエネルギーを、最終的に前進する活力に変えられなかった場合に『無意義な無駄』として残る。
実際に失敗から生まれた作品、芸術、物はいくつも存在する。失敗を失敗として終わらせることも出来たはずなのに、未だ形として残り、必要とされ、愛され続けているということは『有意義な無駄』だった。そういうことなのだ。
"無駄"や"無意味"や"非効率"と向き合う事から芸術的な感性がうまれるとも思える。
だから、私は『有意義な無駄な時間』を捻出する為に、『無意義な無駄な時間』を極力減らしたい。
あわよくば、こちら側から『有意義な無駄』を迎えに行きたい。
人間らしく、美しく、在りたい。