手書き風フォントの「手」を探る
手書き風フォントは誰の手書きなのか
手書き風フォントとは読んで字のごとく、手書き風に組まれたフォントの総称とされる。明朝体やゴシック体など読みやすく整然としているフォントとは違い、基本的に読みやすさよりも親しみやすさや温かさなどを感じるような字体である。一言で手書き風フォントと言っても様々で、可愛らしいものから力強いもの、クールなもの、例外的に手書きとはあまり思えない変わり種も存在する。
言うまでもないが、手書き風のフォントはその文章を書いている人間の「手書き」ではない。加えて、キーボードで文章を書いている人間が普段ペンを持って書く文字に似ている必要はないし、その人間が書きそうな形の文字である必要もない。手書き風フォントを使う意味とは、手書き風故の整いすぎていない柔らかさや温かみなどを出すということだろう。そこに人格は存在していないし、にじみ出る性格は必要とされない。しかし、我々は手書き風フォントを見、人間を形容するときに使うような語彙を使って文字から人間らしさのようなものを感じている。
文字があらわす内容はその都度異なるのにもかかわらず、我々がある手書き風フォントに対して持つ印象はある程度同じであるだろう。たとえば、ある人が可愛らしいという印象を持つフォントについて、その印象が客観的に間違ったものでなければ大半の者がそれをかわいらしいと思う、あるいはそのように形容されることを理解するだろう。この「可愛らしい」や「力強い」などの形容は文字のどのような特徴からあらわれるのだろうか。コンピューターによって画面上に表示される文字列が、その文字の形によってかわいらしいとはどういうことなのか。
手書き風フォントの持つ雰囲気とはなにか
文字の形について、我々は一般的な経験や理解に基づいて判断をしているように思う。例えばあまり整っていない文字は(あるいは一部分が間違っている、クレヨンで書かれているなどの特徴も持ち合わせているかもしれない)幼い文字だと認識されることが多いだろう。また、丸い文字は丸文字の流行りが女子中高生にあるという体験に基づく経験や理解から、丸文字を見るとなんとなく流行りに乗る女子学生のような要素を連想する。
また印象を受けるのは文字の形だけではなく文字を書いた道具についても言える。筆で書かれたような抑揚のあるフォントは力強さを感じるし、筆ペンで書かれたような整った文字は上品に見える。
ただ、このような文字についての形容は単純なものしか適用することはできない。より複雑な感情や印象について多くのものに同じことを感じさせるのは難しいだろう。たとえばレトロと謳っているフォントがあったとき、それはそう見せようとしたときに適切かもしれないが、全く別の用途でも十分に使えるということもある。この場合、その文字だけを抜き出してレトロな文字だということは難しいだろう。単純な形容ではない、雰囲気をあらわすものや連想することの幅がありそうな語彙の場合、背後のデザインや文字内容抜きでこのフォントは云々、というのは難しいと考えられる。
文字の印象は、そのフォントを図形として見た時にどう見えるかということからも決定することができるだろう。丸く可愛らしい文字は図形として角がない故、柔らかく親しみやすい印象がある。上品な文字は細くすっとしていて、長方形や三角形を彷彿とさせるそれは鋭さを持ち合わせているので近寄りがたく、スマートな印象がある。
文字に性格はあらわれるのか
実際の手書き文字において、文字のもつ印象は必ずしも人物の性格と一致するわけではないだろう。しかし、丁寧な文字や癖のある文字はある程度意図して書かれているであろう点で書き手を表しているように見える。
コンピューターにあるフォントに書き手としての意識などはもちろん存在していない。しかし手書き風フォントは、図形としての印象だけでなく、誰かの手書きの文字を見たときに抱く印象を思い起こさせることもある。このような字体は背後の人格を想起させる役割も持っている。そして我々はそれを通して、文字に対しての何らかの印象を持つのではないだろうか。