ソシオニクスタイピング回答 Ne


1:
o           人生には意味があると思いますか?
はい
o           人生に意味があるという場合、その意味は何だと思いますか?
 与えられた才能でなにかを成し遂げるため。どんな意味なのかは、己で見つけていくのではないか。見つけるためには、色々なことに挑戦して、才能を磨く。また、会った人にめぐまれれば才能が開花する可能性もある。生まれた意味は自分たちには把握できないが、生きていく中で、その意味を見つけられる可能性もある。逆に、意味があるからこそ、みな才能を持って生まれてくるのだろう。才能を持たずして生まれる人なんてこの世にいないと思っているし、自分で自覚していなくても、人からその能力に対して憧れを持たれるなんてこともあるかもしれない。その例として、鬼滅の刃の継国縁一という剣士の話がとても興味深い。彼は生まれつき痣があり、透き通る世界をみることができた。その才能についていけるだけの体力も持ち合わせていたまさにチートすぎるキャラクターである。本人が透き通る世界を見ることができることが人と違うことを理解したのは、うたと話しているうちに自分が見ている世界と他の人では違うということに気がついている。周りに理解されないほど強靭な肉体と才能を持っていた彼が、鬼狩りとなり無惨と初めて出会った時の回想シーンで、「出会った瞬間にわたしはこの男を倒すために生まれてきたのだとわかった」といっているシーンがある。このように生を受け、生活していく中で、人との出会いを通して自分の才能に気づき、また生きていく意味を見いだす可能性がある。そのため、人の人生には意味が存在すると思う。

o           人生の意味は、全ての人にとって同じだと思いますか?
いいえ。


2:
o           未知の人に出会った時、すぐに「おそらく、この人はこういう人だろう」といった情報を掴むことはできますか?
はい。
o           上記のような情報を、あなたはどうやって掴んでいますか?
 日頃の生活の中で、選ぶ言葉、雰囲気、表情、態度、声色、立場が違う人に対してのふるまいを観察する。その人が持つ考えを聞いて掴む。もっとも1番わかりやすいのは態度だ。誰に対しても丁寧に接する人に対しては心が細やかで気が利く人だということがわかるし、頼まれたことをしっかりやってくれる人に対しては信頼がおける。どんな時でも元気で明るくみんなの士気を盛り上げているのをみると、その人は元気でポジティブ気質なのかもしれないと思う。声が高く、話し方がゆっくりの人はふわふわとした雰囲気を持つし、堂々とハキハキしていて話す人には、自分に自信があるのかなというイメージを持つことができる。難しい言葉がすらすら出てくる人は、知識をたくさん持っている博識のある人物だなと感じるなど、基本的には行動からくるもので言葉遣いや見せる表情などを組み合わせて掴むことが多い。自分がこれらを捉える時、特に話をする中で捉えるときは目を見て話すようにしている。声色や表情だけでは捉えられないものを目を見ると語りかけてくれる気がする。目が1番本音を語っている気がするからだ。言葉や表情は隠すのが上手な人は特に、いくらでも偽ることができる。人を多角的に立体で捉えるには、自分だけでなく自分以外の他の人に対する態度も見なくてはならない。自分には見せない顔が絶対にあるからだ。同じ人でも人伝で聞くその人と自分が思っているその人がかけ離れている可能性もあるので、色々な人との会話を通じて相手を知っていく。

o           「この人はこういう人だ」と理解するのに、どれくらい時間がかかりますか?
 初期は誰でも緊張するため、動きが硬くなる。3か月ほど経ち、信頼関係ができてくると本性が見える頃だと思うので、理解するとなると、少なくても半年以上はかかるのでないかと予想する。これはあくまでも経験から見る大体の時間予測でしかない。まずそもそもどれだけ時間をかけようがかけまいが、自分1人でその人となりを完全理解するのはほぼ不可能に近いのではないかと考えている。人にはそれぞれのコミュニティがあり、ほとんどの人の見せる顔が確実に違うことを感じ取っているからだ。人を理解するためには平面ではなく立体で見ることがとても大切だ。例えば、同じコミュニティ内にいるAさんの共通の友人Bさんとの間でAさんの話をした時に、Bさんが、わたしが知らないAさんの一面を知っている可能性がある。また逆も然り起こる可能性がある。これは何年経ってもあることであるとわたしは思う。その置かれた環境でAさんの動きが変わる可能性が大いにあることに加えて、話す相手(この場合はBさん)のAさんの解像度の違いも影響がでると考えているからだ。特に仕事上の関係では顕著に現れると考える。上司から見た自分と同期から見た自分、後輩から見た自分、そして自分から見た自分。全て一致する可能性は極めて低い。またら関係値が離れれば離れるほど理解するのに時間がかかる。ジョハリの窓という用語があるが、あれを完成させるには一生かけても終わらないだろう。関わった人がいろいろな見方で人を見ているので、理解のレベルは確実に存在し、また底がないため、この分野にかかる時間的コストはざっくりとしか設定できない。永遠の研究テーマのようなものだと思う。

3:
o           アインシュタインの名言に「この世には2つ、無限なものが存在します。それは宇宙と人間の愚かさです。もっとも前者が本当に無限なのかどうか、私にはわかりません」というものがありますが、愚かさの本質とは何だと思いますか?
人間の欲望

o           なぜ愚かさは無限なのだと思いますか?
 人の数ほど欲望があるから。欲望は一人一つとは限らないので、数えることができないから。欲望はブラックホールと同じでそこがないものだと認識している。
 宇宙と人間の愚かさがなぜ無限なのかについての共通項は命や寿命が決まっているのに、底がなく、計り知れないことだとわたしは思う。
 人類が滅亡する日その日まで人間の欲望は終わらない。人類がいつ滅亡するか、わたしたちは物差しを使っても学んだ計算を使っても仮説を立てることができないし、欲望の種類も多種多様である可能性があり、いくらでも作り出そうと思えば作り出せてしまうことが考えられる。そのため、愚かさとは無限であるとわたしは考える。
o           愚かな人と、そうではない人の違いは何だと思いますか?
 逆に愚かでない人がこの世にいるのでしょうか。見てみたいです。ということで、わたしが考える愚かでない人を作ってみることにしました。
 まず、愚かでない人は、欲望を持たないと思います。つまり、無欲ということになります。こちらが何をしても、何を提案してもいいよと肯定してくれる天使のような人となりの、他人を軸に考え、他人の意見が優先な人です。また、愚かでない人は怒ることを知らないと思います。自分の欲がないから他人に対して怒ることがないからです。「欲」という概念を全く知らない可能性もあります。悟りを開いた仙人か修行僧の思想はこちらに近いのではないかと思います。
 対して、愚かな人とは皆欲を持っています。あれをしたい、これをやりたい。食べたい。見たい。知りたい。聞きたい。などの欲望を持っている人です。
 欲望は全て叶えられる可能性が少ないと思います。無限の欲望を持てる人間はとても素晴らしい生き物ですが、与えられた命のタイムリミットは決まっているので愚かだと思います。

4:
o           真実、半分だけ真実、虚偽:この3つを区別する基準は何だと思いますか?
真実:確実に正しいと断定できる証拠がある。
半分だけ真実:半分の事柄について証明できる証拠がある。
虚偽:確実に正しいと断定できる証拠がない。
o           純粋な真実や、純粋な虚偽は存在すると思いますか?
存在しない。
o           いくつかの具体的な事実やデータが組み合わされた結果として虚偽が生まれるメカニズムを教えてください。
 組み合わされたいくつかの具体的な事実やデータを細分化した時、その事実やデータの中に虚偽が含まれていた時に起こります。例えば、プログラミングをする際に、必要なデータを組み合わせるとする。そのデータの組み合わせに少しでも虚偽があれば問題が発生し、実行に移せないことがあります。取り調べの世界でも虚偽が生まれる可能性があるのではないかと考えます。証拠集め、被疑者の発言と指紋やアリバイの判定のどこかに虚偽が発生した場合、冤罪が発生するケースがある。

5:
o           アイデアが優れているかどうかにおいて、必ずしも正確性は重要ではありません:この考えについて、あなたはどう思いますか?
 遠回りして正確でないものの中から得ることのできるアイデアも存在すると思うので、その考えに賛同する。またアイデアの段階では様々な可能性が含まれているものも多いため、正確性は後付けで考えればいい話だと思う。また、正確なアイデアを一つ掲げるのは至難の業だ。一つのアイデアがはねる可能性もあるが、正確性の低いアイデアであっても、組み合わせて一つの正確なアイデアになる可能性もある。そのためできるだけ多くのアイデアを出し、その中から組み合わせたり、別の視点から考えたりする。アイデアはいくつあってもいい。いろいろな視点から物事を捉えることができるからだ。正確性は必ずしも重要ではなく、いろいろなアイデアの組み合わせやそこから生まれる新しい視点、その視点からまた生まれるアイデア…と円のようにつながっていくことで自ずと正確性の高いアイデアにつながっていく。そもそもアイデアに正確性を求めては、可能性が狭まってしまうのでいいアイデアが生まれないとわたしは思う。
優れたアイデアを考えようと臨むより、とにかく考えたことを書き出そうの方がいいアイデアが浮かぶ。

6:
o           想像力という言葉の意味を、あなたなりに解説してください。
 頭の中で物事を多角的に考えることのできる力。実物がなくても、言葉を聞いたら頭の中に具体物を思い浮かべことができる力。映像が流れ、ふとその映像からインスピレーションを受けることができる力も想像力にあたると考える。全て頭の中で起こるというのが大きなポイントであると言える。

o           全ての人が想像力を持っていると思いますか?
はい。
o           あなたは自分に想像力があると思いますか?また、それはどのような形で発揮されることが多いですか?
はい。脳内会議と妄想で起こると考える。
 脳内会議とは、自分のアバターみたいなのが複数人存在し、物事を決定する際に行われるものである。その権利は皆平等に置かれ、どちらかというと民主主義的な話し合いの場であるため、どのアバターの意見も平等に権利がある。絶対的権力のアバターは存在しない。ある議題に対して、それぞれの考えを持つアバターが意見を申し出ていく、討論が頭の中で行われる。最終決定は多数決で行われる。という具合の集団討論が繰り広げられる時がある。
 妄想は、例えば「もし、推しとお付き合いできたら、こういうシュチュエーションで、デートはこんなところに行って…」というのを映像で思い浮かべる。1日を疲れ切って終えた時にやる。他には、新発売の食べ物の味を写真から想像したり、まだ会ったことのない人の写真や声、雰囲気から顔立ちを想像したり、逆に顔写真しか見たことのない人の性格や人となりを想像したりする。

7:
o           誰かが(またはあなた自身が)他の人と異なっていて、その違いが目立っている時に、あなたはどう感じますか?
 他人に対しては、個性があって面白い。こんなひともいるのかと思う。人には必ず魅力があると思っているので、その魅力を理解して引き出しているのがすごいと感じたり、この人にはこんな素敵な才能があることに気づいて憧れたりする。
 自身がそのような状況が出た時にはいいものであれば、これが得意だからもっと伸ばそうと向上心につながる。もし、不得意な方で目立ってしまったら、まず1番最初に「なぜこんなにもできないんだ?」という感情になる。それを改善すべく、得意な人の動作や手順を見て学んだり、教えを乞う行動をとったりする。

o           「この人は他の人とは違う」あるいは「この人は他の人と同じだ」ということを、あなたはどのような基準で区別していますか?
 その人の考えに驚かされた時にこの人は他の人とは違うと感じる。具体的には、今まで触れたことのない考えに触れたり、周りに同じ考えを持つものがいなかったりする場合に起こる。知性の違いについて感じる時もある。実体験のエピソードで話すと、東大大学院に通う人に出会ったことがある。まず大前提として、どんなことに対しても知的好奇心がえげつなかった。何に対しても疑問を持っていたように思う。また、物事をみる解像度が違うことに触れた。その時、この人は他の人とは違う。出会ったことのないタイプの人だと感じた。
 反対に、その人の発言が、仲の良い知人が言っていたことだとすると、この人は他の人と同じだと感じる。具体的エピソードをいれると、大学の仲のいい友達と雰囲気の似ている地元の友人が自分と話していて、その友達も同じこと言ってたなと気づいた時、妙に親近感が湧いたことがある。
 そのため、その考えや持つ意識に触れたことがあるか否かに基準を置き、区別している。

o           「他の人とは違う」という在り方が容認されるのは、どのような状況や条件が満たされた時だと思いますか?
 初めての考えや行動を目の当たりにしたときや、話の中で、持っている意識レベルの差を知った時に他の人とは違うというあり方が容認される。また、持っている趣味や特技に見たことのないものがあったり、その人が持つ目を見張るような才能を目の当たりにした時にも他者との違いが容認されると思う。

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