そして僕は自慢に嫉妬する、のび太になった。
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(著:岸田奈美)』を読んで。
どん兵衛をすすりながら、先程まで読んでいた本の余韻に浸る。
いやぁ面白かった。
面白かったんだ、本当に。
だけど感想文がなーんも思いつかん。
一旦落ち着こうと、どん兵衛を食してみたものの状況は変わらない。
食べながら考えていたことは主に2つ。
1,この本、カバーがツヤツヤしてるけど、中はザラザラしてて気持ちいい、きっと良い紙やな。
2,どん兵衛だから愛したんじゃなくて、愛したのがどん兵衛だった!へへっ
もう実質なにも考えていないのと一緒である。
今すぐ書くのを辞めたほうが良い。
いっそのこと、フジテレビオンデマンドで世にも奇妙な物語傑作選でも観ようか。
だけどね、やめるわけにはいかない。
今回は書くと決めたんだ。
少し前に、キナリ杯なる文章を書くお祭りがあった。
何やら楽しそうなイベントをやっておると認知していたが、陰から覗くばかりで参加はしなかった。
後悔した。
すごく後悔した。
せっかく誰かに文章を読んでもらえるチャンスだったのに。
そして先日、今度は読書感想文のフェスが開催されると知った。
今回こそは参加してみせる。
今回こそは…!
とはいえ、現在の進捗は前述の通り絶望的だ。
読み進めている時は確かに何かに惹きつけられていた感覚があったのだけれど…
本を閉じて、いざ感想を書こうと思うとその正体が全くわからない。
言語化できない。
冷静になってみれば、著者の岸田奈美さんと自分との境遇はあまりにも異なる。
岸田さんのご家族は『車いすユーザーの母、知的障害のある弟、急逝した父(帯抜粋)』とご自身を含む4人。
対して、僕の家族は、自分と父と母の3人。
ありがたいことに、両親は今も健康そのもので、会おうと思えば1時間半程度で会いに行ける距離に住んでいる。
「ありがたいことに」などと書いてはみたが、身近な人を亡くしたことのない自分にとって、この”全員無事”な状態を心の中では当たり前だと思ってしまっている。
人はいつか死ぬ。
そんなことは分かっているけれど、経験のない出来事はやっぱり何処かフィクションに感じてしまう。
不治の病に犯された花嫁の映画を観るように。
瞳を閉じることでしか想いびとを描くことのできなくなった平井堅のバラードを聴くように。
僕は別世界の出来事として、この本を読んでしまったのかもしれない。
では、僕はこの本の何に共感したんだろう。
食べかけのどん兵衛を退けて、改めてパラパラと読み返してみる。
やっぱり、なにかが刺さったから、あそこまで集中して読めたはずなんだよなぁ。
ふと、ページをめくる手が止まる。
…あれ?
あ、ここも。
ここもだ。
…この人、ずっと連想してる。
担当することになった講義に与えられた時間を、USJのアトラクションの待ち時間に換算したり。
櫻井翔のあまりの尊さにアッ…アッ…と声にならなかったことを、カオナシ状態と言ってみたり。
もう、ずーっと連想している。
自分も昔から様々なコトやモノを、「〇〇みたい」と考えている子供だった。
ちょっとだけ思考回路が似ているかもしれない。
岸田さんの場合、想像力に加え、文章に落とし込む能力値が異常なので、そこはだいぶ違うけども。
車いすの母に連なる托鉢僧らをピクミンと。
解読できないと思われた英語の文章が読めたときの自身をムスカ王と。
なるほど〜と唸るような表現の数々。
たまに、理解できない表現にもでくわした。
『それからどしたの。(CV:愛川欽也)』と書いてある部分は、愛川さんを存じ上げなかったため、ネットで動画を検索し、どんな声か聞いてみた。
最初に見た動画では愛川さんの声を聞くことができず、結局、愛川欽也関連の動画を二本鑑賞した。
どんな風に表現したのか気になって仕方がなくなっている。
家族について書くときも、このスタイルは続く。
母親が謝罪のために首を上下に降り続けた様を”赤べこ”と表現し、
弟が知り合いに何度も会う頻度を、”RPGゲームと錯覚するかのごときエンカウント率”と表現する。
やはり、どれもこれも上手い。
端的にいうと、この本、終始『IPPONグランプリ』が開催されているのだ。
巧みな表現1つ1つが「イッポォォォン」と僕にクリーンヒットする。
永遠に続きが気になる底なしの沼と誘われる。
そうして読み込んでいくうちに、いつの間にか岸田家の面々や岸田家を取り巻く人物たちが、自分の関心事へと移り替わっていった。
「またコーラかよ!ほんとコーラ好きだな」
「お母さん、一旦スルメは置きましょう。たぶん娘さんの人生で今結構大事な場面ですよ」
「英語版ファービーはギャグ線たけぇっす。パパ上…」
障害者か健常者か、生きているか死んでいるか、病気か健康か、読むときにそんなことは不思議と考えてやしないのだ。
シンプルにこの人面白れぇ…と思って読んでいた。
これってすごいことじゃないか。
初対面の場合、人は相手の表面的な部分ばかりに目がいってしまう。
自分もこれまで幾度となく第一印象で人を判断してしまった。
ましてや、この本の登場人物は皆、相当な境遇の強者揃い。
だけど岸田さんは、そんなのお構い無しと「この人のココ!面白いでしょ!素敵でしょ!」と読者の心に直接ねじ込んでくる。
車椅子に乗っているとか、ダウン症であるとか、亡くなっているとか、癌を患っているとか、ちゃんと説明はある。
ある、が…
それらを忘れてしまうほど、登場人物がクールでハッピーでファンキーな瞬間を切り取って、僕らに見せつけてくれる。
まるで幼い少女が宝物を見せびらかしているようだ。
「いいだろう〜あたしの家族なんだぜぇ〜い(CV:関智一)」
境遇だけ考えれば、この本に書かれていることは、自分とは別世界の出来事のように思えた。
けれど岸田さんの連想の呼吸十一の型により、色眼鏡は強制的に外されて、気づけば彼女と彼女が大切にしている人たちと心の距離を縮めている。勝手にだけど。
僕も自分の大切な人たちを、いつかこんな風に紹介してみたい。
宝物を自慢するスネ夫になりたい。
そう思えた一冊だった。
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