危険物と私

高校のパンフに書いてあった危険物取扱者の文字。厨二病真っ只中の私には魅力でしかなかったのです。こうして私は工業高校への進学を決めます。他にも理由はあったけど、わりとマジ。

勉強は大嫌いでした。それでも卒業したときに何もないのもなぁ、それと会場が学校だからという不純でしかない動機で危険物乙4を受験しました。授業でも対策はしてくれましたが、学校終わってから勉強なんてもちろんしてません。なんと前日にはGLAYのライブを楽しんでました。初めての危険物は不合格でした。
2回目でようやく合格し、もう少し取るかぁ、と何故か2類と5類をチョイス。2類は引火性固体なので4類と内容的にかぶるところもあるのでわかるけど、なんで5類…?普通、番号若い方からじゃないの?と思いますよね。私をよく知ってる方はお気づきでしょう。重度厨二病はもうこの時最盛期。自己反応性とかニトログリセリンとか心擽りワード満載です。しかし、この時も私はもちろん勉強しないので、奇跡的に2類だけ取得し、5類は不合格。ここでやっと親に勉強もしないのにお金を出してもらうのは申し訳ないと思い、受験することをやめました。

20年間、一度も危険物取扱者免状を使うこともなく生きてきました。履歴書のマス埋めにしか活躍しなかった危険物。重すぎる腰を上げての再始動。これにもちょっとだけ理由があります。

仕事で使う消防設備士。私はその全てを取得することができました。SNSの先輩や戦友たちのおかげです。会社の人間たちはモチベーションも低く、張り合いがなかったのです。SNSは私の溢れ出す闘志を唯一吐き出せるところでした。
そしていざ取るものがなくなり、会社の面々が頑張ってたり合格していくのを見ていると、またあの緊張感が、戦場が恋しくなったのです。昨年末からやろうかどうかと思っていましたが、プライベートも忙しくて何もできずにいました。
実はそれだけじゃなくて。
私の週末を占めていた息子の部活…なんと入学4ヶ月で退部したのです。
心の準備のないまま、6年追いかけてきた物が急にロストしたのです。ちょうど予選が始まる頃から部活に行かなくなり、そのまま退部しました。暑い夏を迎えることなく、私のおっかけ人生が急に終わりました。これが本当にきつかった。
何かしないではいられなかった。他のことに夢中になりたかった。こうして乙1類・3類同時受験を申し込みました。
今年の夏の暑さに体力を奪われて、仕事と生活で精一杯でした。お盆休みに入ったら毎日図書館に通おうと思った矢先、家族全員でコロナに罹りました。お盆は墓参りすら行けませんでした。そして試験は…不完全燃焼。合否はまだですが、もっと詰めたかった。

そして今日、乙5類・6類同時受験の申込をしてきました。20年前の雪辱を晴らします。

前も書いたけど、自分が試験に落ちたことを子どものせいにしたくなくて頑張れました。むしろ、背中見とけよ!くらいの気持ちで生きてます。どうせ言っても聞かないので。私も聞かなかったし。
何かを背負うのは、強くなれるってことでもあります。枷にするか、武器にするかは自分次第。

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