他人に無闇矢鱈に頼られることが耐えられない あるINTJの話
私には身内や恋人以外の赤の他人に対して、役に立ちたいとか喜ばせたいとか、そういう感情はほぼない。
結果的に私の行動によって相手が喜ぶことがあったとしても、私自身に相手のために何かをやってあげたという感覚はないことがほとんどだ。
私は他人から迷惑をかけられたくないので、自分も誰かに迷惑をかけていないかという点に関しては細心の注意を払っているが、自分がわざわざ人の役に立ちたいとは思わない。
他人の幸せを気にする余裕も無ければ興味も無い。
そんな私が、結果的に人の役に立つ行動を取った場合、その理由は大きく4つに分類される。
※もちろん全て自分に何かしらのメリットがあったり、自分に何かしらの関係がある事柄に限る
①自分がやった方が早いしクオリティが高い
自分の得意分野であった場合、文字通り自分がやった方が早いしクオリティも高いだろうと思う。
それなら自分がやった方がいい。迷う余地はない。
②人に頼むという一連の流れが面倒
相手と自分の能力差がほぼない場合も、人に頼むより自分がさっさとやってしまった方が早いと思うことが多い。
人にやってもらうとなると、依頼からお礼まで言い方やらタイミングやら色んなことを考える必要がある。
相手に何かをやってもらったら、その対等な関係を保つために自分も相手の役に立つ場面がないといけないと思うし、今後そのタイミングも探す必要が出てくる。
私個人としては、他人に何かを任せるというのは全く楽なことではなく、何なら自分でやるよりも面倒ごとが増えるイメージである。
③自分が依頼した相手がミスをした時に「自分がやっておけば良かった」と思うから
人はミスをする生き物だ。
当然、私もミスをする。かなり気をつけてはいるが、ケアレスミスは少ない方ではない。
だから、とんでもない内容でない限り、他人のミスに対して感情的な嫌悪や怒りはわかない。
ただ、それが自分がわざわざ他人に任せた何かだった場合、含みはなく文字通りの意味で「自分がやっておけば良かった」と思う。
ミスをしたことに関して謝罪をしている相手を薄っぺらい言葉で慰め、ミスの後処理をし……その一連の流れは私にとってかなり面倒だ。
もちろん、自分がやったとしてもミスをしたかもしれないが、そのミスは全て自分の責任だ。自分のことを自分で慰める必要も無いし、ミスの処理も誰かに対しての謝罪も、全部自分が最後まで行えばいい。というか、行う必要がある。自分の責任なのだから。
誰かに任せてその誰かがミスした場合、自分の直接的なミスではないという気持ち的に楽な部分は確かにあるが、ミスの処理だけに留まらず、ミスをした本人に対しての感情のフォローやら何やらが必要になったりする。
感情のフォロー……言うまでもなく私の苦手分野だ。
他人がミスをした時の方が、私が自分の苦手なことに向き合う必要があるのも変な話だと思う。
そういうわけで、結局、自分でやってミスするよりも他人にやらせてミスをした時の方が面倒事が増えているという感覚になるので、仮に自分がやろうが他人がやろうが、ほぼ同じ確率でミスが発生するのであれば、自分がやった方がいいという結論に至る。
④人任せな人間になるわけにいかない
基本的に、「自分のことは自分で」という考え方なので、やたら人任せで自ら動かない人間が嫌いだ。もちろん人に任せることがあってもいいし、助けてもらってもいいが、それが当たり前だと思っている人間が嫌いなのだ。
そういう人間が嫌いと言うからには、当然、自分がそういう人間になるわけにはいかない。
だから、人の役に立つために率先して何かをすることはなくとも、他人から見て人任せな人間には見えないように私は意識して動いている。
止まるんじゃねぇぞ…と常に自分で自分に言い聞かせている。いやマジで。
その行動の中に、たまたま人の役に立っていることがあるらしいが、特に喜びは感じていないし興味はない。
私が(結果的に)人の役に立つ行動をとった時の考えは、思いつく限りざっとこんな感じだ。
大体の場合が、自分がそれをやるのが状況的にも自分にとっても最善だと思ったからやっただけ。
言い方は悪いが「お前のために情でやったわけじゃないからな?」というのが私の正直な気持ちだ。
私は人の役に立つかどうかなんて全く考慮して動いていないので、私に対しての感謝はそこそこに、皆はちゃんと自分で自分のやるべきことを探して行動をして欲しい。
何も出来ないのであれば、正直その人は私の行動によって助けられるだけのお荷物で、私には必要のない人間でしかない。
行動して欲しいと言っても高度な何かを求めているわけではない。
(私に善意でやってあげたという意識はないが)私にやってもらったことに注目する暇があったら、小さいことでもいいからその場で自分がやるべきこと、自分が出来ることを探して動いて欲しいだけ。
私は自分から人に頼んで任せるのが面倒なだけなので、能力値の差がないなら周りにもどんどん自ら動いて欲しいと思っている。
「あ、じゃあこっちは私がやっとく」「次回は私がやる」といった具合に、上手くバランスはとるので。
そういうわけで、私は常に他人もそれなりに自分で動くことを見越して、自分のできる範囲内で最善と思われる行動を取っているのだが、現実は厳しい。
私はもう知っている。
思ったよりも他人は動かない。
指示をされないと何もしない、出来ない人間というのは思ったよりも多い。
さらに、こうやって生きていると、最悪な勘違いをされることが度々ある。
頼りになる面倒見の良いお姉さん
いや、本当に勘弁して欲しい。そんなわけあるか。
私は本当に人の面倒など、これっぽっちも見たくないのだ。
あ〜色々やってくれて助かるな〜じゃない。
お前も動け。今すぐ。何をのんびりしているんだ?
「でも、何だかんだ言って優しいよね」
「そうは言っても誰かが喜んでくれたら嬉しいでしょ?」
どうにかそういうことにしたいのかもしれないが、私はそんなことは一切無い。
勝手に私の行動をボランティアにするな。
でも、私の考え方は、人の役に立つことに喜びを感じる人たちにはそれだけ理解し難い内容なのだとも思う。
彼らは人の役に立って感謝されて嬉しくない人間がこの世にいるわけがないと思っている。
その気持ちは分からなくもない。
程度の差はあれどそういう人間ばかりだなと私も思うから。
いや、そういう人間が多いことは別に構わないのだが、私はそうではない。本当にそうではないのだ。
私の願いはただ一つ。
皆が率先して自ら動いて欲しい。
私を無闇矢鱈に頼らないでくれ。
私は頼りたくもないし頼られたくもないので、デフォルトでみんなが自分で考えて動いて欲しいのだ。
理想論だろうか。そうだろうな。そうだろう。
理想は現実にならない。
仕事は仕方ない。問題はプライベートだ。
プライベートで私を無闇矢鱈に頼ると関係性が終わる。本当にあっさり終わらせてしまう。
誰がって、もちろん私が。
だって普通に耐えられないから。
耐える必要も無いから。
私が友達が少ない理由の一つに、女友達にすぐに彼氏役のようなものをさせられるという点がある。
なぜか、私の周りには自分から何も動かない人間がワラワラと集まってくる。
私のことを頼りになる面倒見の良いお姉さんだと勘違いするからだろう。人の面倒を見ることに苦を感じないどころか喜びを感じる人間だと誤解される。
遊びに行くときの計画、予約、当日の案内。
初めて遊びに行く時、ごたつくのが嫌で私がさっさとやってしまうのがよくないのか、「この女はしっかり者で面倒見の良いやつだ」と決して自らは動かない人間に都合よく解釈され、以降、私が関係を断ち切るまで永遠に彼女のお世話をさせられる羽目になる。
具体例を挙げると、「ここ、凛ちゃんと一緒に行きたい!」と連絡してきたかと思えば「予約しないといけないみたい🥺」とだけ言って、当たり前のように私に予約の作業を押し付けてくる、といった具合だ。
お前は私の何で、私はお前の何なんだ?
「今回の予約は○○ちゃんがやってくれる?」
と何もしない彼女達に、私が依頼をするのは簡単なことだ。だが、そういう話ではないのだ。
というか、先述した通り依頼の流れも私としては面倒ではあるし。
そもそも私が依頼する前に動けよと。
自分が出来ることを探せよと。
なぜ、私が指示しない限り何もしない?
私が何もかもするのが当たり前だというその考えは、一体どこから湧き上がってくるんだ?
初回に私が予約の作業をしたとしたら、次の機会には「今回は私がやるね」と自ら動くのが普通だと私は思うのだが、どうやら私という人間を都合よく解釈している人間にとって、それは普通じゃないらしい。
さらに、こういう愚痴を第三者にした時、
「相手は感謝はしてくれるのか?」
と聞かれることがよくあるのだが、この質問がまた私は理解出来ない。
いや、理解は出来るのだが、私にとって「感謝」などというものはこの話に全く関係の無い事柄なのだ。
そう、この世にはちゃんと感謝をしてくれるのなら、人に無闇矢鱈に頼られてもいいという人たちがいる。むしろ嬉しかったりもするらしい。
だが、私は感謝の言葉もお礼の品も要らない。
そんなものは要らないから、私に頼りきって胡座をかくのをやめて、自主的に動いてくれ。
私と対等な関係性を築く努力をしてくれ。
小学校で何のために掃除や給食の準備をみんなでやったんだ?
役割分担の大切さとやらを学ぶためじゃないのか?
それとも、君たちはまだあの頃と同じように、週替わりの当番表がないと何も出来ないのか?
……さて、いい感じにヒートアップしたところで。
最後に私の友人の話をしてもいいだろうか?
今、私には同性の友人が1人だけいるのだが、彼女も実は率先して自ら動かない人間の1人である。
一度、ちゃんと嫌になった私は、いつものように関係を切ってしまおうかと考えたことがあったのだが、如何せん趣味がかなり合うので、珍しく少し思いとどまった。
率先して自ら動かず私に頼りきる人間に話すことなど何も無いと思って、バッサリ切り捨てて今まで生きてきたが、今回は試しに彼女に直接話してみることにした。
私ばかりが様々な予約の作業、チケットの応募、グッズの購入、調べ物をしたり、遊びに行く際の段取りを決めることに疑問を感じているということを、かなり面倒ではあったが言い方を考えてやんわり伝えたのだ。
彼女は言った。
「ごめんね。私、予約とかあまり得意じゃないから……言ってくれればやるよ」
いい歳して予約が得意じゃないって何だ?という疑問はさておき、「言ってくれればやるよ」ではなく、たまには自ら動いてやってくれという話なのだが。
そもそも、他人にやらせてばかりで気持ち悪くないのか?まぁ気持ち悪くないからそうなのだろうが。
……頭の中に浮かんだ言葉たちは一旦飲み込んだ。
というのも、ここで私が彼女をボコボコに責め立てたらかなり雰囲気が悪くなるだろうし、今回はひとまずこの話をしたということに意味があると思った。
今後、予約や計画をする場面で、少なからず彼女は私から言われたことを思い出して、自分から行動するだろう。それでいい。それが目的だ。
現時点での経過報告をしよう。
彼女は何も変わっていない。
相変わらず、私が行動しない限り物事は何も進まない。
正直、もう全て投げ捨ててやめてしまいたい。
面倒だ。やってられない。
もう諦めよう。友達なんていらない。
……いや、早まるな。一旦落ち着け。
誰とでもだいたい数回遊んだだけで友人関係が終わる(終わらせる)私が、彼女とは何だかんだ2年くらいの付き合いがある。
それはやはり楽しい場面がたくさんあったからだし、性格が合う部分も当然あったからだ。金銭感覚、時間厳守などのかなり大事な価値観も一致している。
よし、もう一度だけ、今度はかなり具体的に話をしてみよう。それでも無理なら関係を断ち切ろう。
今後、数ヶ月、諸事情があり私はかなり忙しいので話をするならその後になる。
結果を楽しみにしていて欲しい。(?)
今回の話はここまで。
思い切って書くことでかなりスッキリした。
ここまで読んでくれた人が何人いるかは分からないが、読んでくれた皆さんありがとう。
私は他人のために生きられない人間ではあるけれど、私に優しくしてくれた人たちの努力は報われて欲しいし、幸せになって欲しいと思う。
ったく……思うだけなら誰でも出来るし無責任で簡単なんだよな。
なんて拗らせたことを考えながら。