何かから退いても、逃げたことにはならない
何かが嫌になったり辛くなったりして
そこから退くと決められない理由のひとつに、
「逃げている感覚」がある。
努力とか、耐性をつけるとか
いつからかそのようなことが生きていく上で大切だと信じ、それが評価基準になる現実に抗えなくなる。
あまりにも辛いことに立ち向かうことが、果たして正しいのだろうか。
違う「立ち向かい方」がある、と私は思う。
あまりにも深い水の中を、圧力を受け続けながら
歩き続けたところで、身体が壊れるのが先だ。
多少強くはなるかもしれない。
けれど、強くならなくてはいけない理由は何だろう。これからも、強くなくては生きていけない人生を歩む前提なのだろうか。
辛くなく1歩を踏み出せる道で、頑張りたいことの頑張りどきには自ら走り出せる。
そんな世界は、選べないのだろうか。
自分のことを駄目だと思っていると、
それを体感できるような世界を呼び寄せたりする。そしてまた、誤った認知を深くする。
何ができるか、を考えることで
人生が変わる可能性は大いにある。
合わない世界を選び続け
そこから何度も生き方を変えようとしたが、
同じループにはまっている人
そのせいで、自分は人生に立ち向かえていないと感じていても、それは別に正解ではない。
生き方は不器用かもしれないけれど、
ただそれだけで、何かが悪いわけじゃない。
もっと、自分を責めずに生きられる方法はあるはずだ。
いい加減、自分を大事にした方が良い。