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安息の地

月曜日の朝、19年間共にいた家族が旅立った。
前日までご飯を食べ、何事もなかったかのように朝見たら静かに息を引き取っていた。
不思議と取り乱すことはなかった。
心の準備が出来ていたのだろう。

朝から心を落ち着かせるためか、プラモを弄り、タオルでそっと包んだり、またプラモを弄ったかと思えば家の前の桜の木の下を園芸用のスコップで穴を掘っていた。

園芸用のスコップは脆いと始めて知った。
柄の部分がぐにゃぐにゃ折れるので、実家の母に娘が連絡し、スコップを持ってきてもらう手筈を取っていた。

その後、また足が汚れたから風呂に浸かり、出る頃には母が駆け付けた。
スコップを借りると黙々と穴を掘り、タオルに包まれた家族をそっと安置しすぐに土をかけた。多分耐えられなくなりそうだったのだろう。

普段神などいないと思っている私も母から手渡された線香のひと束を取り出し、全てに火をつけそっと置いた。
祈りはしなかったが、線香を添えることは、生きている者が区切りをつけるために必要であると悟った。

猫の人間年齢なども、よく分からない例えだと普段は思っているが、自身が納得するためにあるのだろうと理解が出来た。
子猫の時に保護したわけじゃないから実年齢は分からないが、92歳~96歳まで生きたと知ることで変に納得した。

月曜日より半月前程から、やたらに甘えて来て、膝の上にしつこく乗っかって来ていた。
少し鬱陶しさを感じていたが、その鬱陶しさの原因も死期が近いと認めるのが嫌で、考えないようにしていた。

因みに私の足の上はそんなに好きじゃなかった。良く若い頃は酔っ払って足の上に乗せるのだが、すぐに居心地が悪そうにソワソワし始め、他へ行ってしまうのだ。

膝の上に乗りただ眠る。
死臭が漂っていた。
片目が潰れてからもう近いと予想はしていた。
普通の傷が治らないのだ。
公園で出会ってから19年。
引越し以外で1度だけ別荘に連れていったことがあった。
指して取り乱す様子もなく、落ち着いて自分が気に入った場所を探すと、やはりそこでも寝ていた。これしか出かけた記憶がなく、常に家に居てくれる家族といった私にとって必要不可欠な存在が無くなったことをだんだん感じている。どこかに散歩に行くこともなく、日常の存在だけであるがため、悲しみが倍増する。

苦しんだ様子もなく
ただ眠るように、静かに。
日常のひとつとして静かに旅立った。
                                                                     凛1129

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