妻が脳梗塞になった#5
【心情の変化】
妻が脳梗塞になってから3週間が経とうとしている。実は妊娠の際も早めに入院しており、ひと月以上会わないなどといったシチュエーションはざらである。
しかし妊娠とは違い、喜びを待つ人の心情
命を大切に守っている心情
これとは違う。
半分動かないからだ。
最初の頃は荒れてムカつかせてくれたりもしたが今は落ち着いている。
そして本日「会いたい」と言われた。
因みに昨日会っている。
そのような、事を口にする人間ではなかった。
脳がやられてそうなったのか、単に不安になったのか、LINEにもやたらと周りも含めて感謝しだした。
【本気は伝わると信じている】
ある一般の人が駅前でヤクザに蹴ったくられて「助けて~」「助けて~」と叫ぶ一般人。
そのヤクザに「おいおい弱いものいじめはいけねーな!」「あちょー!はいやー!」と合気道かなんかでやっつけたらかっこいいですが、実際はそんな事にはならない。
でも警察を呼んだり、怪我をしてたりすれば救急車を呼んでくれたり、出来ることをしてくれる。
この「本気」は世界共通、誰かに伝わる。
見舞いにしても必要なものを届けるにしても全力で行う。明日で良いやを無くし、最短最速で対応する。家の事も全力。子どもに作った飯を子どもと撮りLINEで送る。仕事の移動中は全部脳梗塞、介護、家でも出来るリハビリー、家族の対応、精神状態が下方に向かった場合の修正方法、高血圧に対応する食事、活力をもたらす栄養素、運動、睡眠、それらのバランスやメカニズム、補助金の申請方法、または他にないかなど、全心血を注ぎまくって対応した。
当然疲れる。
問題を棚上げしたくなる。どこかのインフルエンサーみたいに一日中没頭することなんて出来ない。
自分の頭の中で妻に「俺はこれで全部、出来ることをやれているか」と問えば、またトライアンドエラーを繰り返し最良を探している。
【見えないから伝えている】
人間自由を奪われると外の世界を羨ましく思う。そして外の人間があちこち動いていても「そっちは自由なのだからそれくらいやってよ。こっちは動けないのだから」と思うところがある。
流石に無粋だから「こっちはこっちで大変なんだよ」とは言わない。ただ結果は伝わるようにしている。断捨離も日々の飯も、家事も子の宿題も学校への連絡や訪問も、全部LINEでしている。
報連相の相談以外全部ね。
幸い怒りが収まらなくなるような後遺症は見当たらないので「動いているな」という安心感は与えられていると同時に、自負にも繋がっている。この行動がダサいとも思うが、私はそんな立派な人間ではない。「俺やっているだろ?ほら」とわざわざ作らないと「こっちは動けないんだからさぁ」など、機嫌によって思わず口にしたとしても、そんな会話になった時ダメージを受け止められない気がしたからだ。
3週間、自分の時間が無いどころか、毎日動かなければならない状況に発狂しそうになったが、弱さと向き合う機会となり、全部動いて全部報告!「物理的にこれ以上は無理」をお知らせすることで自分を取り戻すことが出来た。
【愛とは思い込み】
辛かったら全てを捨てて、自分を保てる環境に変えれば良い。方法は分かっていてもやらない。そもそも家族の支えになることは義務ではないのだ。
ドライに考えれば損切りするのが、当然コストも安くなるのだが、そうは出来ない。
自分が冷酷になるのが嫌なのか、助けている自分に酔っているのか。SEXを求めているのか。良き伴侶であった過去を期待しているのか。
結局ゲスな想いも全部本当であり、自分なのだろうが「家族だから助けるのが当然」という風潮だと思い込むことで、突破している。
「そんなの奥さんを愛してないよ」と言われればそうなのかもしれない。
私は私以外を経験したことがないから「愛」について間違っている又は、知らないのかもしれない。
でも昭和の家族のように「家族は困ったら助け合うのが普通だよね」という風潮に乗っかることによって、安心感を得ている。
現代では損得であったり、成功するためには捨てられる人が有利であると、いくらでも情報はある。それでも人は弱いから普通でいることが楽であり、思い込むことで今を行動できる。
人は比べっこが好きな動物だ。
脳梗塞の発症場所が悪くて、暴れ狂っているお父さんもいることを知った。
「うちはそんな風になっていないな。なら大丈夫だ」と比べ活力にする。
前妻は、ジャニーズに嵌って借金するわ、浮気するわ、開き直るわであったが、今回はそんな事はない。じゃあ助けようと決めたりもする。
ゲスな自分、恩義で動く自分、何かを期待している自分、憐れんでいる自分、常識から外れたくない自分、カッコつけたい自分、全部自分で愛が見当たらなくなる気もあるけどそれでもなお助けなくてはならない不思議。現代で結婚は自分の人生を彩るためにするのかもしれませんね
凛1129