二度目の一時保護 ずれてゆく子供の感覚
とうとう子供が二度目の児童相談所に入った。 今度は自ら呼んで、自ら墓穴を掘り、入っていった。
言葉を選ばずに言えば「こんなに子供とはバカなのか」
これが正直な感想である。
事の顛末は朝一からの母へのワガママから始まる。幼少の頃からとにかく母親をこき使う事が日課なのだ。これについては何度となく注意したが治らない。そしてこの日もいつもの女王様ゴッコが始まった。
「朝はパンじゃなきゃやだ」「一度は買ってこいと言われたのにお金をくれない。やっぱりご飯を炊いてに変わった」そんな事を子供は言い続けてきたので、「くだらねぇな」と思い、「もう面倒だから出ていってくれないかな」と言うと子供は大声で喚きだし家からでていった。そもそも外に出す予定ではなく、リビングから居なくなってくれればよかったのだが、出ていったとしても午前10時頃の話である。内心いつものことでどうでもよく、腹が減れば昼には帰ってくるであろうと思い放っておいた。
その後2時間後くらいに子供の兄弟からLINEで3年生なので非常に読みづらいメッセージが送られてきた。
「いますぐきてー」 「○○(友達名)の」
「どわを」 「がちょがちゃ」
「して」 「いんたーほんならきしてきて」
「あけろー」 「ていわれた」
「なんかいえをがちゃかちゃしてきた」 「ぱぱいますぐきて」
「お願い」 「△△(うちの子の名前)が」
「こわいにいさんつれてでてこいってゆわれた」
そんなメッセージが入っていたのに気づき慌てて電話すると、どうやら中学生がわけのわからぬことを言って脅しているらしい。
私の頭の中に一つ「教唆」という罪名がため息とともに浮かんだ。
私はすぐに車へ飛び乗り、○○ちゃんの家に車を走らせた。
ここでのやり取りは中学生も小さな女の子相手に正義マン気取りで脅し続けてしまっている現状を見てしまっているので名誉の為詳細はあえて言わないが、教唆している子供は止めなければならないので、嫌がる子供を無理やり服を引っ張って車に乗せた。
そこで家についても逃げようとする子供。興奮して大騒ぎしている状態では到底話にもならず終いにはちょっと目を離した隙に警察を呼ばれていた。
しかし警察が来ても実際は服を引っ張ってその時に多少首が締まった事を警察には通報段階で「親に首を絞められた」と言い呼ばれたそうだ。
警察が来た際、天気も悪い日であった為、脅された子供と下の私の子達は私の家に来ており、玄関でUNOをやっていた。
そんな中警察も「えっ!?」「首を絞められて修羅馬感もないな・・・・・・・」というようなあっけにとられた感じになり、子供にも事情を聴いても首を絞めた形跡もなく、なによりも子供自身が洋服を引っ張られた際に首が閉まったと言ってしまっている。
当然、なんのお咎めもなかったが私は怒りが抑えられなかった。
話の内容的に警察も私と子供の間にそれほどの危険を感じていないが、私も今回はクールダウンで地方の祖母の家に連れていくなんて無駄金を使うつもりはない!と言った。そして「連れて行ってくれて構わないが、警察署に迎えに行く理由もない」「なぜなら私は虐待をしていないし、虐待があったと現状そちらも定義づけできないだろう。返すならあんたら警察が連れてきな」と言った。警察もよく考えずにそうですね。クールダウンをした方が良いですね。なんて言ってしまったから大変。警察はとうとう虐待をうけていないと断定していたにも拘らず、児童を児童相談所に連れて行ってしまった。
まぁ結果は、児童相談所も何もなかった児童を長期間預かるわけにはいかないと言って5日間程度で帰って来た。その辺りの行政のグダグダも今回問題にしたい所だが、実は私が怒っているのはそこではない。
一度目の児童相談所に入った理由は私だが、なにも「被害者」に育て上げる事はないであろう。
子供は短絡的に「親がムカついたらなんでもいいからでっち上げて警察さえ呼べば親は黙る」と思ったのだろう。それが問題なのだ。
今回子供は中学生を使って兄弟を脅かす事を依頼した「脅迫教唆」という立派な犯罪を犯した。つまりそれ程の事をしたから強引に連れて帰ったわけだが、警察に今度は虐待されたと被害者面だ。これほど人間として品位を失わせた原因の一旦に「児童相談所の対応」が考えられる。
我が子ながら、なんとも卑怯な人間になってしまったと目を覆いたくなる、いじきたない心が垣間見えた瞬間だった。
児童相談所よ。
なんでも甘くすればいいわけではないのだ。こんな意地汚い子が大人になれば更に人付き合いなどにも影響したりして孤独になったり、なんならずる賢く人からお金を奪うような大人になってしまうのだよ。
安心・安全など命を守れれば大人になったら責任は本人なんて無責任な状態で子供を扱うのであればもう余計な事は止めてほしい。
「児童相談所は死なせない」が仕事であってその子供がぬるま湯に浸かって将来どうなっているか等全く関係なく、結果ろくでもない統計も出ているのだよ。世間も「虐待親」だけではなく、たいして命の危険などないのに長期間入れられ将来がズタズタになっている家庭の現実を見てみようよ。
虐待=子供の死ではない。虐待の度合いによるし、今は正直過剰過ぎて被害者が増えていると考えて間違いない。本当に死んでしまう恐れのある子など、子供が事情を聴いた限り10分の1にも満たない。もとより過半数は、売春だったり、喧嘩だったり、アスペで暴力奮ってしまう子であったりと犯罪と病気の人がほとんどだ。死ぬだろうと思われる虐待の子なんてほとんどいないのだ。
じゃぁ何故統計でそう出るかって?
児相が勝手に「死ぬかもしれない」って定義づけているだけの数です。
これを読んでいるいじめっ子でもいじめられっ子でもなかった大多数のあなた。クラスのいじめられっ子は、「私はいじめられています」って公言して大騒ぎできたいじめられっ子ってそんなにいますか。本当に死ぬ程の虐待を受けている子は、外に公言できない程、恐怖で縛りつけられているのです。だから死にます。
当然うちの子は命の危険なんて感じてないのです。そんな子に本当に死にそうな子と同じ扱いをしたら、当然ミルクセーキのような、のどに絡みつく程の甘い世界が児童相談所です。当然「被害者」でいる事の楽さを覚えるだけなので、このような事件が起きます。
ゼロ百思考でしか動けていない事が児童相談所の最大の難点で、そのお陰で「こんなことを虐待と呼ぶな」というような事件では家庭を崩壊に至らせるレベルで被害しか残っていないのが現状です。
私の子供は「無駄に甘い世界」と「被害者でないのに被害者でいる事の楽さ」を覚えてしまったため今後成長にも支障をきたす事でしょう。
よくもやってくれましたね(笑)児童相談所め
RIN