「人それぞれ」で終わらせていい話とダメな話の違い
こんにちは、国武凜(くにたけりん)と申します! 「LUXER MOON(ルクサームーン)」というピアスブランドのオーナーをしたり、大阪ミナミのホストクラブ「ATOM ROYAL」でホストをしています!
思考のプロセスを綴ってみる
物事を深く考える上で書かせないのはノートかスマホ。今考えていることを都度外に出さないとそこから先に進めない感覚に襲われるからです。
僕が嫌いな言葉に「人それぞれ」があります。
議論する上でこれを言われたらそれ以上話を進めることができないからです。言葉は抽象的で現実は具体的です。言葉で現実を語るならば、抽象⇔具体の行き来を意識すべきです。
言葉に片寄った抽象的すぎる話は現実に応用できないから意味が無いように、「人それぞれ」という具体の極みである言葉は正しいっちゃ正しいけどそこから新たな知見や仮説は得られない。
個人的には、現実を言葉で「人それぞれ」とは言いきらない程の具体性でもって語るのが大好きです。ホストとして売れるためにはイケメンになるべき、という抽象的な話ではなく、ホストとして売れるためには他のスタープレイヤーと競わないために初回指名でもってお客様を増やすべき、みたいな再現性のある具体度が大好き。
ただ、そんな僕でも「いや、それは人それぞれだよね」と片付けてしまうことがあります。
今回の記事では、「人それぞれ」という言葉で片付けていいものとダメなもののラインはどこにあるのかを、思うがままに書いていきます☺️
「人それぞれ」で終わらせていい話とダメな話の違い
とりあえず、その言葉で片付けてよさそうなものとダメなものを例であげてみよう。なにか見えるかもしれない。
・いいもの...好きな音楽(嫌いな音楽)、成功する方法、
・悪いもの...服、髪型、個人チェア、失敗する方法、モテる方法、受験対策、
人それぞれで終わらせていいものとはつまるところかなりの具体性を帯びた話をしないと机上の空論になるものだろう。
一方終わらせてはいけないものとは反対に汎用性や再現性のあるものだろう。
例えば受験対策は人それぞれではない。ある程度の型があって、それに忠実であれば成功できる。
一方でこの社会での成功の勝ち取り方は人それぞれだろう。隣の人の成功した方法を真似ても、環境や時代の流れや周りの人々やタイミングや運に左右される割合が大きいためだ。
一方で失敗する方法は受験対策と同じで汎用性があるため、人それぞれで終わらせてはいけないと考える。ホストとして売れるために服を買いまくるのは失敗する一例であり、誰にでも当てはまることだ(服を買いまくって売れた人は服を買ったから売れた訳ではなくそれ以外の要素に起因していると考える)。
こう考えると、「人それぞれ」という言葉で終わらせていいものとダメなものの違いは「対象までの道のりの選択肢の数」ではないか?
「好きな音楽を作る」という目標までの道のりは無数にある。Jpop・Kpop、インストゥルメンタルやジャズなどジャンルや、どのメロディのあとにどのメロディを差し込むか、時間は何分にするか、誰がパフォーマンスするかなど、道のりが多岐に渡る。
しかし受験対策は楽曲制作以上に道のりや選択肢は多様では無い。まずは1日8時間以上勉強すること、その上で塾に通い計画表を受験に詳しい人に作ってもらう、それに忠実に従い実行する。
受験で失敗する人はパターン化できる。
センスがないのに塾やYouTubeやChatGPTに頼らない人、お金をかけない人、先生の言うことを無視する人、そして何よりも勉強しない人だ。
「人それぞれ」という言葉で片付けるしかないものは「対象までの道のりの選択肢の数」が無限にあるという要素が理由としてあるのではないか。
いつもこんな感じで考えてます☺️