宮古島の歴史に迫る。
こんにちは、国武凜(くにたけりん)と申します! 「LUXER MOON(ルクサームーン)」というピアスブランドのオーナーをしたり、大阪ミナミのホストクラブ「ATOM ROYAL」でホストをしています!
初めて沖縄に来ております!!
突然ですが私くにたけ、人生初の沖縄に上陸しておりますーー!!!
僕が働かせて頂いている大阪ミナミのホストクラブ「ATOM ROYAL」の慰安旅行として、2泊3日で宮古島に来ております!!
旅行する時に僕が必ずやることは旅行先の歴史や観光名所をとことん調べること!
ということで今日は宮古島の歴史に迫ります!
戦争
宮古島の歴史を語る上で欠かせないのは「戦争」です。
第二次世界大戦に伴い宮古島も甚大な被害を受けました。沖縄県にある「平和の礎」には、宮古地区で3,460人の戦没者名が刻まれているそうです。
主に1944年から1945年にかけて、空襲がたくさんの命を奪いました。当初は軍事目標のみの狙いが、次第に市街地まで時限爆弾や街を焼き尽くす焼夷弾が落とされました。
当日を生きた人の日記によると、食べ物がなく雑草を食べて空腹を凌いでいたそう。70kgあった体重は40kgまで落ち、空腹が何よりも辛いことだったと当事者の方は語ります。
人頭税
人頭税(じんとうぜい)は、その人の収入や仕事の内容、年齢、男女に関係なく
「一人あたりいくら」
と決められた金額を税金として支払わなくてはいけないという税金システムです。
この人頭税は世界的に見てもかなり厳しいものでした。お米が作れない宮古島では、雑穀だけでは人頭税を納められず、不足分は男性は「粟(わら)」女性は「上布」を納めなければなりませんでした。
世界的にも、例を見ないほど繊細で、手間がかかる麻織物の最高峰「宮古上布」の技術が維持されてきた背景には、このような歴史があります。
宮古上布は、水がない島に残る必然があったのです。
ミヤコブルー
沖縄と言えば「海」!
沖縄の中でも晴天の下での宮古島の海は「ミヤコブルー」と呼ばれ、世界的にみても圧倒的に透き通った綺麗な海なんです!
この綺麗さを保つのには様々な工夫や運が絡んできます。
例えば宮古島には山がありません。なので陸地に河川がないので、砂が海に混ざることがない。だからこの綺麗さを保ててるという側面があります。
また、この綺麗な海を保つために資源に優しい養殖法を開発し実践したりと、この海は島の人達が受け継いできた伝統そのものです。
まとめ
正直、10月28日(月)の自身のバースデーイベントが控えているので全てを忘れて心の底から楽しむことは難しいのですが、始めてきた土地。歴史を知り、島人と交流し、新しい経験を積み自身の中に多様性をうんでいこうと思います。
ガッツリ旅行するのは明日から!
また宮古島旅を共有したいと思います!🔥