3代目JSBはラグジュアリーだった
こんにちは、国武凜です。
今回は「3代目JSBはラグジュアリーだった」というテーマで、ラグジュアリーブランドについて学んでいるときに思ったことをふわっとお話ししていこうかなと思います。よろしくお願いします!
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ラグジュアリー
ではいきましょう。
まずはラグジュアリーとはなんぞやということをしっかり明記した方が良さそうです。その上でまず、これからお話しすることは著書「ラグジュアリー戦略」を参考にさせていただいてますので、そちらのアマゾンリンクを貼っておきます。興味のある方はぜひご覧ください。
・「ラグジュアリー戦略」
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%88%A6%E7%95%A5%E2%80%95%E7%9C%9F%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E6%A7%8B%E7%AF%89%E3%81%97%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8B-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%83%8E%E3%82%A8%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AC/dp/4492556826
それを踏まえた上でラグジュアリーとは「夢を提供するもの」という側面があります。
夢とは抽象的なものですが、「このブランドを買えたら私も立派になったものだ…」とか「あのブランドは上流階級の人のためのものだ」とか、そういった感じで「みんなが知っているんだけどなかなか買えない」という方程式をもとに創造される夢を販売しているのが、ラグジュアリーのひとつの側面としてあると考えます。
[夢の方程式]
夢=認知度ー普及度
著書「ラグジュアリー戦略」の中では、夢とは認知度と普及度のgapの関数であるとされています。つまり、このgapが大きければ大きいほど夢はその人の中に創造されるということです。
これらを踏まえると、僕らがよく知っている「ファッション」だったり「生活必需品」を販売するような時に用いられる古典的マーケティング手法とは全く逆のことを行わなければならないことがわかってくると思います。つまり、ラグジュアリーにとって大量販売は最悪なのです。大事なのは、買うために努力しなければならないという壁を適切に作ることです。決してファッションを販売しているような企業と同じようなマーケティング手法(大量に作って大量に販売する。主に「価格」を販売することに重きを置いているような手法を指す。)を取ることはあってはならないのがラグジュアリーの独自性だったりします。ラグジュアリーとRarityは同質なのだ。
また、買うためにある程度努力しなければならない壁というのは、コミュニティや連帯意識を生み出します。壁に囲まれた世界は、その壁をよじ登ってこれた少数の人たちだけが見えるものです。壁に囲まれた世界には同じ苦労を経験した仲間がいて、シガンシナ区のようにそこにはコミュニティが発生するのです。
#進撃の巨人
まとめると、ラグジュアリーは「Rarity(希少性)」が重要で、そこから「Community(共同体)」を生み出すものであると言えます。
3代目JSBとラグジュアリー
さあここからは僕の大好きな3代目JSBとラグジュアリーがどう結びつくのかお話ししていきたいのですが…
彼らが日本や世界で広く認知された一つのきっかけに「R.Y.U.S.E.I.」という曲があります。
・三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE「R.Y.U.S.E.I.」
https://www.youtube.com/watch?v=4-Gw0TAM6-Q
リリースされた年のレコード大賞にも輝いたこの曲は、3代目を飛躍的に成長させまた彼らの代表曲にもなりました。
そこからの進化は止まることを知らず、数々のアリーナツアー・ドームツアーを行い歴史的快挙も果たしました。
そんな彼らでありますが、戦略的にそうしたのかはたまた偶然なのかはわかりませんが一向にテレビに出なかったんです。みんなが知っていて(つまり認知があって)、そして認知のみならず人気も高かったのに。必ずオファーはきていると思うので、何かしらの理由で大半のそれらを断っていたと考えるのが妥当でしょう。
しかし、それでもたまーに出ることがあって、それが「Mステスペシャル」とか「モニタリングスペシャル」とか。つまり、テレビが視聴率をガッと取りにいきたい祝日やイベント事がある時期にのみ出ていたのです。
これってかなりラグジュアリーの性質や戦略に似ているなあと思っていて、つまり認知がめちゃめちゃ高いのにも関わらずテレビ出演という普及度を減らすことで「この日ついにテレビに出る!!楽しみ!!」みたいなある種の夢を生んでいた感じがするんです。そして、学校や会社で「テレビみた〜?」みたいな会話が生まれ、そこで3代目が好きということから発生する連隊意識や小さなコミュニティが生まれる。
この過程はかなりラグジュアリーに似ていて、「あ。3代目はラグジュアリーだったんだ」と感じました。
で、これまた不思議なのが、3代目が好きっていうことがある種排他性を生んでいたんです(個人的にですが)。つまり、ラグジュアリー同様「自分含め限られた人しか3代目のことが好きじゃない」みたいな。いや、実際には全くそうじゃないですよ?けどテレビに出ていないということが、国民的人気がまるで低いような感じて、そこから排他性や独占感を感じれたんです。これが例えば僕の大好きな嵐さんだったらこういった感情は生まれないんですよね。テレビには引っ張りだこだし周りの人もみんな好きっていってるから、例え自分が好きでも排他性や独占感は感じられません、「嵐って人気なのが当たり前だよね」的な。
#わかります ?
こんな感じで、大体2015〜2019年あたりまでの3代目ってすごいラグジュアリーに似ているなあと感じたので今回お話しさせていただきました。
「じゃあ今はどうなの?」ということなのですが、そこに対して正直に答えてもそれで学びになったり笑顔を生むことはないと思うのでアンサーすることはやめておきます。。。
ということで今回は「3代目JSBはラグジュアリーだった」というテーマでお話しさせていただきました。ではまた。
・3代目YoutubeChannel
https://www.youtube.com/channel/UCMTTTdzVAun-xxO7J0p4Tiw
・三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE「R.Y.U.S.E.I.」
https://www.youtube.com/watch?v=4-Gw0TAM6-Q