成功体験と応援する力
肝心なところでいつも逃げたり、脱落することが多い人生を振り返ると、他人に「いい応援」ができる人は、大なり小なり頑張って何かを成してきた人なんじゃないか、もしくは、夢や希望を捨てていない人なんだと思う。
自分の失敗や、マイナスの刷り込みに記憶を支配されている人間は、無意識のうちに「失敗」の予感に支配される。
それが、他人の挑戦を「引きずりおろす応援」につながってしまう。
悪意があるわけではなく、そういう経験が多かったことや、周りの人からの刷り込みが、他人に対してもそうなる予感を思わせ、そのように言ってしまうのだと思う。
因みに、今の僕も、そういう人間なんだと思う。
頑張る人から疎まれる。
そうでない人からもマイナス思考だから嫌われる。
周りも本人も不幸そのものじゃないか・・・
成功体験がいかに大切か、こうした視点で気づくのに44年もかかってしまったのが、四日前の涙の原因だったのだろうか。
虚しさに襲われて、ただただ涙が流れていた・・・
自殺する人を一生懸命止める人も、そうかもしれない
誰かに助けられたり、偶然が運よくか助かって、大きな気付きや経験があったりするからなのだと思う。
生きていて、よかった、もしくは何らかの使命を心の奥底から感じた体験が、大きな原動力になっているのだと思う。
自分はどうなん?
という己への問いかけに、理論や推測を振りかざす事だけの虚しさをまた感じてしまう
時間の流れは誰にも平等だけど、与えられた時間は、わからない。
過ごし方は、生れ落ちた環境と、その後の本人の偶然を含めた選択や関わり中で過ぎて行く。
だから、どうしたいの? だからどうしたいの?
わからないけど、この無意識を少しずつでも変えていきたいと、「自己評価メソッド」を、じっくり、じっくり、もう一度、読むことにしたんだ。