眠れない夜にぼんやりと、長々と

5月なのに秋晴れのようなさわやかな一日でした。

僕の心をあざ笑うように・・・じゃなくって・・・、

僕の心を誘うように・・・って書いてみる。


昼間のケダルイヒルネのせいか、眠れない夜に、こんな文書を書いています。

ケダルイヒルネの合間に、窓から青い空と白い雲を眺めてながら、今日、今、この瞬間、ゆるやかで、きらきらした世界に穏やかなありがたさを感じていました。 穏やかな一日。 そう、穏やかな一日。

  ああ、写真がない・・・

ニュースを見なければ、世界の不幸を知らなくても済むわけで、自分の周りのことしか知らないでいられる。 もちろん、遠い王国の結婚式も知らないことになるけれど。

不幸、残虐、悲しみ、卑劣、威圧、嘘の話(ニュースが嘘っていう意味じゃなくて)がどんどん流れてきても、見聞きしなければ知らずに済む。 世界から隔離されてるって? 必要な情報だけ知ってればいい。 知りたくもないことは知りたくないんだ。

知る権利があるのだから、知らない権利もあっていいよね。

ニュースを見ないと不安になる人の会話で、こんな事件があって怖いよね・・・とかひどいよね・・・とか、そこから深い話になるわけでもなく、会話のきっかけ・・・。

会話のきっかけも大切かも知れないけど、僕がそういう話を聞くと、その背景に何があるのかとか、効率化を優先した社会の歪を不幸にも受け取ることになってしまったその人の運命憐れむ、といったようなお話しかできない。フカボリで、残虐な犯罪に至る経緯に容疑者の歪んだ認知やそれを引き起こす脳の構造、そうした構造に至るその人の人生の経緯がああかもこうかも・・・とかいうことになるんだけど、そんな話をしても怪訝な、そして面倒くさそうな顔をされるだけだし、僕自身も当該者の人たちにそれらを確認するわけでも、その結果を以って社会をもっと良くしようとかでもなく・・・ので、結局そうですね、気を付けないといけないですね・・・程度のお話になってしまうわけで・・・。


齢を重ねてそんなことがたくさん降り積もって、脳の中ですぐ引き出せない役に立たない形で・・・そう、垢のように溜まって穏やかな生活を邪魔することになってるのかな・・・ああ、掃除、したいな・・・。

物も溜まってしまっているので断舎利・・・なのに、本をリサイクル屋さんに持って行った次の日に『ぼのぼの』を43巻まで大人買いしまったりする。

そう、今の僕は、ぐちゃぐちゃなんだ・・・ぐちゃぐちゃなんだったら・・・ 

ニュースの引き出せない記憶だけではなくって、きっと今までの人生の思い出したくもない嫌な事とかもたくさんあるんだ・・・うれしかったこともあると思うけど、思い出せない・・・自分が幸せだと感じたことや感激したこと・・・あったんだろうか・・・あったと思うんだけど・・・少しはね・・・でもどうして思い出せないんだろう・・・

そんな夜に、ふと涼やかな心になりたくて、10年以上前に友達にもらった真鍮の風鈴を鳴らそうとして・・・、躊躇う。


だって・・・、なにか・・・、呼ばなくてもいいものを呼んでしまいそうじゃないか・・・


眠れなから、ウイスキーのロックでも飲もうかな・・・

 

封が開いてる『富士山麓』『Ballantine's 12』『Dewar's 白』の中で、最後のやつにしてみた・・・あ・・・氷がほとんどない・・・氷少しとお水で・・・



実は最近、生きることを辞める妄想がひどいんだ。 ひもとか、シーツとか、ジャンプとか、暴走とか・・・怠さがひどいときがあって、少し動くと動悸と息切れる体調に・・・12年前のあの時の病の記憶が・・・

あいつが死ぬくらいなら、自分が死んだ方がいいと思うことは昔からたくさんあった。 そいつに恋しているわけではなくって、、人として、自分より優れているやつが死ぬのがもったいないって思うんだ。 自分を卑下している・・・のかな・・・。  なぜ? 思い出せない記憶をすべてその方面に詳しい方に見ていただければ、解明されると思うんだけど・・・、もうそれもどうでもいいんだ・・・

そういう願掛けみたいなことをしたことが、思い込みを生んで、先が見えない今の状況と相まってそんなことを思ってしまうだろうな・・・と気づく。

やりたいこと、やればいいじゃん・・・生きたいように生きればいいじゃん・・・というのと本当に生きていくってことを両立するまでの苦難の道のりを一歩踏み出す前にあきらめているだけ・・・というか、苦難なのかどうかも判らないじゃん・・・でも、まだ、やっぱり腹を決められないでいる・・・。

そう、こわいんだ。 とてもこわがりなんだ。 どうしてこんなにこわがりなんだろう。 引き出せない記憶を・・・  もう、 いいよ・・・


イチローは、野球が好きだった・・・純粋に、うまくなりたくて、野球を楽しみたくてずっとやってきたんだと思う。  僕と同い年。

池田学さんも、きっと絵を描くことが好きだった、きっとずっと絵を描いてきた。 もしかしたら、『もう二度と描きたくない』って思ったこともあったかもしれないけど・・・

僕はいったい今まで何をしてきたんだろう・・・と思って、ものすごく、それはそれはものすごく、ショックというか、虚無感に襲われるというか、もうただただ愕然としてしまうということがあった。  世の中の大半の人がそうだよ、っという事もあるかもしれないけど、今もそこから立ち直れずにいるな・・・。

好きで、強い思いがあった。 なのに、近づこうと思ったら、遠くなり、全然近づけず、何度もつまづいては転び、転び続けて、どんどん遠ざかり、今度転んだらもう辞めようと思っていたのに、又転んでしまったんだ・・・。

もう、辞めろという事なのかな・・・。

あきらめろという事なのかな・・・。

違う道があるのかな・・・。

絶望の果てに希望があるって本当かな・・・。

光を探して彷徨い始めて半年か・・・。  

なんて事を言ってられるってこと自体が、生活に余裕あるじゃん・・・って・・・、その通りだね・・・その通りだね・・・そうなんだよね・・・


久しぶりのnoteのテキストがこの内容ってないよね・・・ってグラスが半分以下になってふと気づき、お土産でもらったネパールのお香をたいて落ち着きを取り戻そうとしてみる。


ウイスキーが不味くなってきてしまった・・・

酔ったのか、こんな文章を書いているからか、季節外れに石油ファンヒーターをつけたからかわからないんだけど、ただただ世の中が平和で僕の周りの人たちが幸せであってほしいと思う。 世界が平和であって欲しいと思う。・・


UNHCRに毎年僅かばかりの支援をさせていただいているんだけど、毎年毎年様々な悲劇があり、いくら支援しても悪化する一方ないこの世界に絶望・・・ではなく、これが仏教的な解釈(? 間違ってたらごめんなさい)でいう人間界というものなのだというセツナイ言い聞かせを自分にしている。

絶望も、希望も、全て入り混じってカオスな人間界。

自分は何のためにこの世に生まれたのか。

それが判れば苦労はない・・・というのは、何かの言い訳??



生きる意味、生きている意味・・・

暇人の戯言・・・

何も言えない・・・











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