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この世に無駄なことはない。但し、時間は有限である事を忘れてはいけない。

どうも、説明書を読まずに何でもセットアップしてみたくなるリモの助です。

「人生回り道したが無駄では無かった」

よく耳にする名台詞ですよね。

この台詞は捉え方によって違う意味になると思っています。

「人生において、本来早くに辿り着けるはずが遠回りの道を歩んだけど、結果的に遠回りの道にしかない経験や学びがあった。つまり遠回りをした方が良かった。」

もう一つの捉え方は、

「人生において、本来早くに辿り着けるはずが遠回りの道を歩んだけど、結果的に遠回りの道でも望む結果を得る事が出来た。つまり遠回りをしても自身の目標に到達した。」

どっちの解釈でもハッピーエンドなのですが、この台詞に時間の概念を盛り込むと様相が変わります。

遠回りは、貴重な時間を消費する価値があったのかどうか

です。

「時間」については別の機会に深堀しますが、時間は有限で、お金に変えられないほど貴重なモノです。

先程の前者の捉え方は、


遠回り(時間を通常より消費)でしか得られなかった経験が、消費した時間に見合っているかどうかです。

例えば、犯罪をおかした人間が更生し、ボランティアや社会に奉仕するNPO団体を立ち上げるなど。

おそらく遠回りをしなければ、社会に奉仕するといった発想にはならなかったのではないでしょうか。

まさに、「人生回り道したが無駄では無かった」です。

では後者の捉え方はどうでしょう。

後者の捉え方は、遠回り(時間を通常より消費)しなくても得られる結果であるが、遠回りしても結果オーライだったという事です。

限定品を購入しに行ったが、道を間違えて予定時刻をかなりオーバーした。
ただ、限定品はGET出来た。無駄ではなかった♪

みたいなものです。

つまり表面だけを読み解けば、後者の遠回り(道を間違える)は必要ではなかったということです。

道を間違えた事は必ずしも無駄とは言いません。今後活用できる新しい道路を発見したかもしれませんから。

ただ、その遠回りは時間を消費する価値はあったかと言う事が重要なのです。

板前で包丁を握るのに数年修行する事が一般的のようですが、それだけの時間を本当に消費しないと板前になれないのかということなのです。

人生は取捨選択の連続です。

私も限られた時間の中で無数に存在する発信ツールの中から、この「note」を選択しました。

収益に繫がらないものに時間を費やす理由は、この無料のブログでしか得られない経験値があるからです。

結果的には、私の描くゴールに遠回りになるかもしれません。

ただ、振り返れば非常に有意義な遠回りであったと語る自身を想像して、今日もほそぼそ頑張ってみます\(^o^)/

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