初産での双子出産育児が異世界すぎた。
こんにちは、こんばんは、はせがわりみです。
noteは読む専門だったのですが、育休終了を1ヶ月後に控えて脳が溶け切っていることにあせり、リハビリがてら書いてみようと思います。
そもそも双子育児の情報が少ない
双子育児って当事者が大変すぎて記録も残せなければ記憶も消えていくので、ネット上に転がってる情報もまだまだ少ないな、と思います。
とはいえ、少し前に比べれば、不妊治療の普及で双子、三つ子の多胎児家族の割合が増えていたり、InstagramやTwitterで激動な毎日を記録している猛者達もいるので、情報は増えているとは思いますが。
だから何ってつまりは、急に対峙することになったこの双子育児の異世界っぷりを、なるべくそれ以前の私にもわかるような形で表現したいなと思っております。
まずはざっと経緯を
2015.2月に入籍。そろそろかなと思いながら中々授かれず、2年の不妊治療を経て、2019.10月に初産で双子の女の子x2を出産しました。
(ちなみに、双子には一卵性と二卵性がありますが、うちは二卵性です。簡単に言うと、赤ちゃんの卵が二つあるので兄弟が同時に産まれるような感じ。そこまで瓜二つにならない場合も多いです。卵が別々なので男女の双子になる場合も。)
翌2020.4月に保育園&会社復帰の予定が、
コロナで登園自粛・復帰延期。
今のところの予定では2020.6月から保育園に預けて6月末から復帰予定です。
【5/28 区からさらに1ヶ月延期可能との発表あり。家族と会社と相談しなければ、、、。】
さて、思い立ってnoteを書きはじめた現在はとゆうと、2020.5.26 2:23@お風呂の中。
双子を寝かしつけるために、添い寝しながら授乳して(業界用語で「添い乳」と言います←)そのまま意識が飛び、気づいたら風呂も入らず乳丸出し(すみません)で寝ていて、こりゃいかん、と焦って風呂に入っている次第です。
双子は現在生後7ヶ月。
2000g前後と小さめで生まれた2人は、そんなことが嘘のようにいっぱい飲んで寝てスクスク育ち、首が座って寝返りができて、もう少しで腰が座ってお座りできるかな、くらいにしっかりしてきました。
こんなふうに夜双子が寝てからゆっくりお風呂でnoteを書けるようになったことを、出産直後の自分に教えてあげたい。。と感傷に浸るのはそのくらいにして、本題に行きたいと思います。
今まで努力でどうにかしてきた私と「努力じゃどうにもならないこと」との出会い
双子育児の異世界っぷりは今まで何度となく経験してきましたが、その中でも一番衝撃的だったことについて書いてみます。
それは、ありきたりですが、
努力じゃどうにもならないことでした。
聞いていました。努力じゃどうにもならないこともあるよ、と。頭では理解していましたし、努力しても結果がついてこなかったことは幾度となくあります。ですが、それとは次元が違いました。
今までの人生、うまくいかないこともありましたが、努力すれば少なくとも前よりは良い方向に向けることがほとんど。習い事でも受験でも仕事でも、努力すれば、前の自分よりは少しマシな自分になれる。恋愛でも、努力がそのまま結果に結びつかなくても、学ぼうと努力することで相手の立場になって考えられるようになったりしました。
そう、気づいたら今までの人生、うまくいかないことがあっても「努力すればいずれなんとかなる」といつの間にか刷り込まれていたようです。
そんな私と、努力では本当にどうにもならない、とゆう衝撃との出会いは、突然やってきました。
帝王切開での出産翌日、トイレまでの2メートルが歩けなかった
それは帝王切開(よくある経膣分娩で下から出すのではなく、お腹切って出します。双子は産院の方針にもよりますがハイリスク出産の部類に入り、ほとんどが帝王切開になります。)で双子を出産した次の日。やんわり効いていた麻酔が切れて、切腹の傷と、急に中身がなくなった子宮が元の大きさに縮もうとする子宮収縮で、一睡もできないくらい痛かったときのこと。
帝王切開での出産は、お腹切ってるのに、翌日から歩かされます。そうしないとエコノミー症候群になって最悪命の危険性があったり、動いた方が回復が早いから、だそう。
多少の痛みは歯を食いしばって耐えられる方ですし、「赤ちゃんもおっぱいを待ってるので、今日は2メートル先のトイレまで行けるようにがんばりましょうね〜」と言われ、責任感の強い優等生タイプ(自分で言うか)の私は俄然頑張らねば!と奮起します。
そして座る体制になるのも痛い中、無理やり踏み出した一歩目。
「、、、、(絶句)」
想像以上の痛さに出した足も引けないし、崩れ落ちたいのにそんなことしたらお腹が裂けそうで怖くて崩れ落ちられないし、2メートル先のトイレなんて1ヶ月たっても到達できる気がしません。
退院まであと7日。一刻も早く歩いて、身体中についている管や点滴をとって、赤ちゃんのお世話をしたいのに、いくら歯を食いしばったって動けません。パニックで泣きじゃくり、看護婦さんから「今日はここまでにして明日また頑張りましょう」と言われ、その日はベッドから降り立っただけで終了しました。
自信喪失でマイナス思考が止まらない
周りの帝王切開のお母さん達は、痛がりながらもそのほとんどがトイレまで行けていたのを見て、更に自己嫌悪と自信喪失の渦に巻き込まれる私。
今の私だったら「そんなにショックを受けることもないし、次の日になれば歩けるから大丈夫だよ〜」なんて思ってしまいそうですが、それはあくまで結果論です。
当時の私の頭の中は
「小さく産んでごめんなさい。早くおっぱいあげなきゃ2人が弱っていっちゃうかも、、、」
「なんで自分だけできないんだろう」
「あと7日で退院できる気がしない。自分の体だけでいっぱいいっぱいなのに2人のお世話なんて本当にできるかな、、、」
みたいなことがぐるぐる。
大部屋の病室で、他の人が赤ちゃんのお世話をしているのが聞こえるたび、「私の赤ちゃん達は母親にお世話してもらえなくてかわいそう。私が弱いばっかりにごめんなさい。。」とボロボロ涙が出てきます。
仕事では鋼のメンタルな私でも、この時ばかりはちょんっと押されただけで崩れ落ちるくらい心がグラグラでした。今までこんな状態になったことなんてありません。「全部ホルモンのせい、私は大丈夫、、、」と必死で思い込もうとしましたが、情けなかったり悲しかったりする気持ちがコントロールできず、寝たいのに眠れませんでした。
妊娠を継続するために大量に出されている女性ホルモンは、分娩とともに急降下する
なんでそんな状態になっていたかと言うと、もちろん図の通り、女性ホルモンの急降下によって体はもちろん心も不安定な状態になりやすかったから。でもそれだけでなく、持ち前の責任感や今までの経験から来る「きっと自分はなんとかできる」みたいな自信が打ち砕かれたことが大きく影響したと思います。
小さい成功体験で自信を取り戻すことの大切さ
帝王切開の翌々日になってみると、体って本当に凄いもので、痛みが少し引いてなんとか立てるようになり、何度か立つ練習をしていたら夕方やっとの思いであの遠かったトイレまで行けました。
トイレに行けたことで体についていた管が取れてずっと楽になったり、子宮が頑張って縮んでくれたおかげで点滴が取れたり、やっと赤ちゃんに会えて授乳の練習を始められたり、少しずつできることが増えていくことで本当に気持ちが前向きになりました。
その後も次々と待ち受ける試練達
そんな前向きになったのも束の間。
・母乳との格闘
・いきなり2人の命を預かる重圧
・産後はじめてのシャワー
・フラフラになる双子のお世話と授乳
など、退院までの7日間だけでも数えきれない試練があり、半分くらいは乗り越えて半分くらいに心を折られてを繰り返す日々。
退院して自宅で2人との生活が始まっても体と心は不安定なまま。やっと安定したのは多分産後3ヶ月頃だったと思います。
その間私は夫や母や自分の妹に、弱音を吐いたり泣きついたり当たり散らしたりさせてもらったことで救われました。今では双子との日々を楽しめるようになりましたが、1,2ヶ月の頃にこまめに毒抜きをさせてもらえなかったら、あのままだと本当に鬱になっていたな、、、とゆう分岐点があったように思います。
最後に、今後に向けて。
ただでさえ初産は未知との遭遇。さらに双子となると体にも心にも相当な負担がかかります。
外から見ると大変そうだけど、何がどう大変なのか、どんなサポートがあれば助かるのか、わかりづらいと思います。
当事者も記憶が薄れて語れなくなっていくので、合間合間で初産双子育児の異世界っぷりを今後も語っていけたらと思います。そして今回はなんだか真面目になってしまいましたが、笑っちゃうような事もたくさんあるので面白おかしく書けるときは書けたらなぁと。
それでは、溶けた脳で絞り出した分かりづらい文章を
最後まで読んでくださりありがとうございます。ここまで3日もかかってしまいました。笑
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