飲む、ということは。

 生きていると、喉が渇く。
 むろん、腹も減るが、俺にとっては喉の渇き、そしてそれを潤すことこそが生きていると実感させてくれる。
 ――残念なことに昨日の話はそんなにかっこいいものではなかったが。


 夏期休業明けに大学の講義を2コマほど受けたあと、一緒に受けていた友人との話が思いがけず盛り上がり、近くの焼き鳥屋で多くの串とそれなりの酒と少々の野菜を口に入れ、代わりに互いの近況や趣味の話や次の予定などを口から次から次へと吐き出していった。
 3時間かそこらして、そろそろ帰るかと店を出たのが7時ごろ。近くの下宿先に着いた時間は覚えていない。前の日は早く寝ようと思っても最近の度重なる夜更かしのせいで中々寝付けず、夜中の3時頃まで部屋を片付けていたのと、そんな状態から大学の講義のためにと久しぶりに早起きしたのと、酒を飲んだことのせいで眠気が限界に来ていたので、帰って風呂にも入らずベッドに倒れこんだ。
 目が覚めたのは夜中の2時。酒で眠りが浅かったせいか、喉の渇きを感じて起きた。焼き鳥で塩分を取りすぎたのだろう。そのまま寝てもよかったが、俺は喉が渇いた状態は非常にイライラするタイプだ。寝ようとしても寝付くのに時間がかかるだろう。
 飲み物を飲もうと思って冷蔵庫を開けたが、2日に1回、水出しで淹れているアイスティーが空だった。そういえば今日の晩は淹れる日だった。
 水出しアイスティーは手間はかからないが時間がかかる。具体的には一晩だ。夜寝る前に水と茶葉を専用の容器に入れて冷蔵庫に入れておくのだが、むろん家に帰ってベッドに直行したのだから入っているわけがなかった。そして今作っても今飲めるわけではない。オンザロックでアイスティーを作るにも氷が無い。ホットという選択肢もあるにはあったが、喉が渇いたときにホットの飲み物を飲むのは個人的に好きではない。紅茶やコーヒーは自分で茶葉や豆から淹れるが、どちらも嗜好のためだ。
 仕方ない、せっかく都会に住んでいるんだ、近くのコンビニで適当な飲み物を買ってくるか。

 コンビニまでは徒歩50歩くらいだ。適当にTシャツとジャージを着て入った俺に、店員はめんどくさそうにいらっしゃいませを口にする。一番奥にある飲み物スペースに直行した。
 期間限定の秋っぽいアレンジがされた定番ものや、ハロウィンにちなんだカボチャを使ったドリンク、世間で人気の音楽を再現しましたというポップが付いた炭酸飲料。どれも一瞬興味が沸くが飲みたいかと言われたら飲みたくはならない。結局、いつでも棚に並んでいる、大量生産された500ミリリットルの紙パックのレモンティーを買った。レジでお金を払っている間に、これを買うなら氷を買って部屋で作れば良かったと後悔したが、こういうのを飲むのもたまにはいいか。
 ありがとうございましたの声とともに自動ドアをくぐって店をあとにし、下宿先へ。築何年だか忘れたがボロいアパートだ。玄関には2段だけ階段があって、高さが丁度座るのによかった。頬を撫でる心地よい涼しさを含んだ風に夏の終わりと秋の訪れを感じて、もう少し外にいようと思った俺はその階段に座ってさっき買ったレモンティーにストローを差し込んで飲むことにした。ジージーと控えめな音量で1匹だけ虫が鳴いているのが聞こえる。外れの方ではあるが一応栄えている都市のひとつだけあって、こんな時間でも怖さはなかった。何よりさっきのコンビニの明かりがここまで届いている。ただし人は俺だけだった。
 数分間、ちびちびとレモンティーを飲みながら空を見上げていたが、ストローからじゅるるるる、と残りが少ないことを知らせる音が鳴った。この音を聞くと少し寂しい気持ちになる。紙パックを傾け、最後の一滴まで飲んでしまう。さて部屋に戻って寝ようかと腰を上げようとしたところで、道を歩いていたOLっぽい女性が目に入った。スーツ姿で髪はおそらく黒く、かばんもビジネス用のもので普通だったが、明らかに足取りが不安定だった。酔ってんのかな、と思いつつまぁここらへんでは別段珍しくも無い光景だなと興味を失ったが、目をそらした一瞬あと、かばんが落ちる音と「いたっ」という声が耳にはいった。視線を戻すと、どうやら先ほどのOLがこけたようで腰の辺りをさすっているのが見えた。ここで「お姉さん、大丈夫ですか」なんて声をかけられるほど積極性は無いし、強姦目的だと思われても嫌だったからさっさと部屋に戻ろうとしたが、予想外なことにOLのほうから声をかけてきた。
「ちょっとそこのおにーさん、なんか、ばんそーこーとか持ってないかねー」
 俺ですか、と自分を指さしてみるが「そーにきまってんじゃない!」と軽くあきれられた。
「あー今持ってないっすけど、俺の部屋ここなんで、すぐ持ってきます。ひざ打たれたんですか。分かりました。ちょっと待っててください」と声をかけて、戻ろうとしたが、OLに腕をつかまれた。
「ごめん、家ここなんだよねー? じつはトイレも我慢してるから、貸してもらってもいーい?」

 前の日に部屋を片付けておいてよかった、と安堵しながら、トイレに案内し、絆創膏も渡す。ほどなくして出てきたOLは酔いは少しマシになったようだったが、まだ顔が赤く、声も語尾が間延びしていた。
「いやーごめんねーたすかったよー」
「いえいえ。これ、お水です。どうぞ」
「おー気が利く。ありがとありがとー」
 ごくごくごく、と気持ちいいスピードで水を飲んで息をつく。
「ありがとー。君、名前はー?」
「丘野です。丘野健斗」
「ケントくんかー。私ミキっていいまーす」
「ミキさんですね。家はこのあたりなんですか?」
「いやーあと徒歩で1時間くらいかかるんだよねぇ。実は会社の飲み会でさー終電逃しちゃって、もう1人、終電逃した子と2時くらいまで飲んでたんだけど、彼氏が迎えに来るとか言って帰っちゃってさー。家まで歩いて帰ろうかと歩いてたんだけど、もーつかれた」
「それは……災難でしたね」
「んーでもケントくんみたいな可愛い子と会えたから良いということにする!」
「もーからかわないでくださいよ。もう大学生ですし可愛いって言われる年じゃないですよ」
「あら、そんな可愛い反応してたら襲っちゃうよー」
「もう。冗談はよしてください。帰れますか?」
「ごめんごめん。んー、もー足ぱんぱんだし正直つかれたよー無理ー」
 あーやばい、これは誘われてるな、と思いながら、こういうことがいままで無かったから、凄く緊張して次の一言を言った。
「じゃあ、電車の時間までうちで寝てもらっていいですよ」
「え、ほんとに? ありがとー」
「どうぞどうぞ。ベッドつかってください。俺床で寝るんで」
「えーそんな。いいよー私が床で寝る!」
「いやいや、大丈夫です。俺明日昼まで寝れるんで、ミキさん帰ってからベッドで寝ますし」
「んーじゃあ一緒にベッドで寝よう?」
「それはまずいですよ。彼氏さんにおこられますよ」
「あー大丈夫、彼氏居ないし。ケントくんなら襲われてもいいよー」
「いやいや。じゃあ狭いベッドですけど、お邪魔します」
「お邪魔してるのは私だけどね」

 ベッドに一緒に寝転んで、あーやばい緊張するなー寝れないなーホントに襲ってもいいかなーとか考えていたらとなりですーすーとミキさんが寝息を立て始めた。かなり歩いていたようだし、疲れがピークだったのだろう。
 色白で顔も整っており、正直タイプだったが、俺は自分が思った以上にヘタレで、寝息を立てているミキさんを見ていたら襲う気はおこらなかった。

 でも、少しだけ。ごめんなさいと心の中で謝りながら、頭に手を伸ばし、綺麗な髪を撫でる。さらさらしていて、手触りが気持ち良い。少しの間触っていると、ミキさんが薄目を開けた。
「ご、ごめんなさい」
 思わず謝るが、ミキさんは無言で微笑んで僕の頭に手を伸ばして頭を撫でてくれた。優しく、暖かい手で。

 そのまま頭を撫であっていたら、いつのまにか寝ていたようで、目が覚めたらミキさんは居なくなっていた。
 テーブルの上に手帳から破りとったと思われるメモが残してあった。そこには無言で出て行ったことへの謝罪と、昨晩のお礼、からかいの一文と連絡先が書かれていた。



 こういう出会いもいいもんだな、と思い、携帯を起動してミキさんの連絡先を登録した。

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