「バンドの悶着、恋と激情、身の丈に足りる日」
詳細は控えるが好きなバンドが新譜を出して、直後に悶着が起きていた。
なるべく見ないよう考えないようにと努めたけど、なんだかんだ状況を追ってしまう。
昨夜は眠れずちっちゃいMIDI鍵盤をPCにさして「人々よ」を一晩中弾いていた。結局寝たのは今朝7時半ごろ。昼過ぎに起きてからずっと頭が痛い。夜勤明けからの不摂生で少し堪えたのか。
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上記の話は主に色恋のいざこざだったんだけど、わたしも恋愛絡みで行き詰まり(恋人にフラれただけだけど)あなたを殺してわたしも死ぬ!それしか道はねえ!とか本気で考え、夜更けの車中で友だちに辛抱強く説得された経験がある。
その当時は大学辞めたり殆どの関係を絶ったりしてかなり不安定だった上に、はじめて人をとことん好きになって情緒はぐちゃぐちゃでもうしっちゃかめっちゃかだった。幸せだと笑った数秒後にどん底まで落ち込んだり、毎日泣きながら恋人にすがったり怒ったり慈しんだりしていた。
だけどそういう激しさは理屈との衝突や世間とのすり合わせでけずれて欠けて、月日と共におさまっていった。
世間の話題にのぼるような良くも悪くもぶっ飛んだ彼ら彼女らは多分、目減りしてくはずの激情のようなものを強力に持ち続けられる人なんだろう。だからわたしはその狂気に近い振る舞いを畏れ忌避して時には憧憬を抱き、でもやっぱり恐ろしい。わたしには出来ない。わたしの中の他者(それも結局わたし自身だけど)が、怒りや悲しみをもって咎め諌めるから。
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世の中は絶えずカラフルな喜怒哀楽で賑わっている。わたしに出来るのはその移ろいを傍目に眺めて駄文を書きつけるくらいのこと。薄々わかってきたのは、自分の役回りは舞台上で必要とされるものじゃないってこと。不服を唱える心のどこかでは、半端者の気楽さにほっとしている。染み付いた小心。望むものはもう手の内にあるのかも。
わたしはわたしの身の丈に足りる日をいつまで待ちぼうけているんだろうか。