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【抗弁】ギター弾きたくない!

ギター弾きたくない。本当に弾きたくない。録音するのめんどくさい。上手くないからめっちゃ録り直さなきゃいけないし。200 、300テイクは余裕で越える。みんなそうなのかな。だとしたらそれでも曲作り続けてギター弾き続けてるみんなすごいな。練習、全くしてない。なぜなら弾きたくないから。コピー、ほぼやったことない。なぜなら弾きたくないから!クレイジートレインの最初のリフくらいしか弾けない。録音する時以外全く弾かない。アコギを適当に爪弾く程度はするけど、エレキなどは1ヶ月触らないこと全然ある。まじで弾くのイヤなんです。ポンペイ遺跡観光ツアー中にガイドさんから「このへん遺体の数もうちょい増やしたいんであなた今から埋もれてください。なるだけ苦悶の表情浮かべてもらえると助かります」と火山灰どっさりかけられるくらい、イヤ!!

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そもそも私がギターを始めたきっかけは中学の時分に、加山雄三とザ・ヤンチャーズというおっちゃんおばちゃんのバンドを、テレビでたまたま観たからだ。どんなにイケイケな者も、年老いれば老眼鏡と新聞の間の虚空を見つめ生きるさだめと思い込んでいた私は(受験勉強で通っていた、近所の公民館の自習スペース付近にそういう老境の方が多数点在していた)心底楽しげに演奏する彼らに、なんだこの愉快な初老たちは…!と衝撃を受けた。バンドメンバー皆々アコギやエレキを担いでいたので、ギターが弾ければ老後も楽しいんだな〜と安易に思いこんだ私は、屋根裏で眠っていた母のクラシックギターを引っ張り出し、アコギ代わりにベンベケ弾きはじめたのだった。
教室の同輩たちが過酷な受験勉強の合間テレビゲームやスタバの新作チェックに興じるのを横目に、指先と手首を痛めてまで過酷な練習に打ち込みFコードを習得したのは、万が一5、60になるまで生き延びてしまった場合でも、快然と晩節を全うするための備えである。一向に浮かばぬリフに頭を抱えるためでも、肩こりに苛まれながら単調なバッキングをひたすら録り直すなんて苦行を強いられるためでもないのだ。なぜこんなことに!

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そんなに嫌なら人に弾いてもらえば良いと思いますよね。私もそう思います。でもなぜだか音楽というか創作が絡むと協調性が激下がりするんです。それでバンドも3、4回解散した。
大体私がデモ作ってメンバーに聞かせて、そっからスタジオで合わせて編曲って形だったんだけど、デモ段階で各パートを作り込みすぎる癖があり、あれこれこねくり回す分だけ自身のアレンジに愛着が湧いてしまうもんで、メンバーがフレーズを少し変えようものなら「いまドラムのフィル変えた?どういう理由で?」みたいなことをいちいち聞くもんだから(流石にもっと優しい言い方だったけど)「そんなに口出すなら一人でやれば?」と言われて、確かに!となり解散。大体そんな感じだった。
作詞曲以外は各パート信じて任せろよって今なら思うんだけど、驕り高ぶった暴君みたいな精神性でいた過去の私はそんな当然のことにも気づかずにいた。後悔してもしゃーないけど、あの時はごめんねってみんなに言いたい。

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余談だが若かりし私は、ご学友たちがRADWIMPSやバンプやアジカンに熱狂する中、ばりばりの逆張り精神で五輪真弓や岩崎宏美を480pもあれば十分に高画質であったいにしえのYouTubeで聞き漁り、「本ねーじゃん!」のCMが放送される遥か以前のブックオフ中古CDコーナーで「HAPPY SONGSあんじゃん!オーロラの夜聴けんじゃん!」と一人叫びながら真島昌利のソロアルバムを買い漁っていた。俺みたいな中3で昭和の邦楽聞いてる時代遅れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは、とイキリ散らかしていたので、前述のバンドに参加している、さだまさしや南こうせつがフロントマンをつとめたグレープやかぐや姫と言った70年代フォークグループも、少々聞きかじっていたのである。そんな前置きもあり、彼らが楽しそうにギターを弾く姿にまんまと憧れちゃったわけです。
真島昌利のこと書いてふと画像検索したらやっぱ宇宙一かっこいい。つくる曲の詩もいいメロもいい。ギターもかっこいい。最強。そんでさっき夏の抜け殻とHAPPY SONGSを棚から掘り起こしてiTunesに読み込もうとしたんだけど、バグって全然できん。CDとドライバの相性よくないのかな。そういえば一昨年も読み込めなかった。また何年後かにやる気がする。

こんなことダラダラ書いてる場合じゃない。ギター弾かんと曲できない。でも弾きたくない!弾きたくない~~!!明日弾けばいっか!いいよね!!そうします。

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