新高円寺旧懐詩について
何年か前、新高円寺の1Kで暮らしていた。三階建てアパートの一室で、一人なら十分だけど二人ではちょっと狭い部屋。歩いてすぐのところに小さな公園があって、その少し先に薬局があった。駅までは徒歩2~30分かかったけど、喫茶店や古着屋が軒を連ねる商店街へ散歩がてら行けるのは楽しかった。元々相手が1年ほど住んでいたところに居着く形だった。その人は過酷な制作会社を辞めたばかりで、大体のお金はこっちが工面していた。新しい職探しをせっつく頻度は通帳の数字と反比例して、ようやく近所の居酒屋の面接に受かったって連絡が来たころ、私の住む場所は変わっていた。
歩道を走る自転車を意地でも避けない人だった。路地が狭くて往来の多い場所だったから、いつも私が裾を引っ張って端に寄せてた。案外素直に引っ張られてくれるのがちょっとおかしかった。テフロンの剥げたフライパンをこっそり燃えるゴミで出そうとする人だった。いつも同じプレイリストの音楽を聴いていた。洋服とホラー映画が好きだった。細い指先と、足の輪郭と、ブリーチした銀髪が綺麗だった。作った料理を必ず美味しいって食べてくれるのが嬉しかった。
なんて感慨深く綴る生活たちが終わった原因は私で、それも酷く情けない内容だから割愛するけど、とことん普通のことができないんだなと思った。私は救いようのないクズだけど、それでも一緒に商店街を巡って結局なにも買わないで帰って、おもしろいのやってないねって言いながら小さいテレビの前でご飯を食べたり、お風呂上がりのドライヤーをさぼって二人でベッドに転がったりした時間が、あの瞬間たちが大切だったのは、嘘ではないよ。
そういう歌です。
かさ増した情緒で過去の愚行を希釈する、その悪癖に存在意義をもたせる作業が私にとっての曲づくりかもしれない。くだらないとも思う。でも、それでもいいよ。在りし恋情くらい、せめて美しかったことにしようよ。どうにもならない事実から、見つかったら捨てられちゃう宝物みたいな真実を庇おう。堅く鋭い光にさらされて、いつかは粉々に消えるとしても。私はそれでいいよ。