焼き増し、でも大事
自動思考に陥りたくないと常々思う。赤といえばりんご、みたいな単純な連想ゲームで世の中を理解した気になれば、途端に生きるおもしろみが減る。
とはいえ心がすり減って限界で、考えを単純化しなきゃもうもたないって状況は多々ある。世界が私たちを極めて道具的に扱うとき、それに抗えないとき、私たちは無機質然とせざるおえない。情緒豊かな心は燃費が悪い。だから忙しさにのまれそうになれば、自らをオートマ化してエネルギー効率を上げるのは自然だろう。だけど普段から効率をモットーに生きるのは違う気がする。色んなしんどさに耐えてまでわざわざ食って寝てしぶとく生きてる意味もなくなっちゃうから。
効率化を楯にした無分別な自動思考。それはたとえるなら関数の乏しさかも(たとえが成功してるかは謎)。外界の情報が入力された時、出力される思考が一辺倒になるような、テンプレートな等式しかもたないこと。超シンプルに書くとハンバーグ=美味しい
サメ=怖いこんな感じ?上記のワードをポリコレっぽいセンシティブ語句に置き換えればSNSの怖い人たちの心の中になるのかも。こういった複雑性の排除がSNSに散見する認知の歪みとか論理の飛躍などと批判される発言を作り出してる気がする。
過去の傷の怨霊に取り憑かれて、現在のほとんど関係ないような場面で拳を振り回してしまう人々も、他者の言動をネガティブに拡大して私的制裁と街頭演説の足場にする人々も、どうにか落ち着いて楽になってほしい。でもよっぽど大切な人でない限り真っ向から向き合あえる体力はない。それこそ機械的にミュートするしかない。
まあそれもこれもセロトニン減少で幸福感が不足してたり、オキシトシン過多で同族への愛と共に他種族および他コミュニティへの差別意識も充実してたり、扁桃体の異常から本能的なネガティブ感情の暴走してたりするのが原因らしいから、さっさと電極とお薬で脳をしっかりいじれるようになれば万事解決だそうです。万事よ、早急に解決してくれ。
何が楽しくてこんなことを書いてるのか。明らかにX(旧Twitter)の見過ぎです。生活を改めねば。それはそれとして、たとえ巷の弁論家の焼き増しでもこういうことを自分の手で文字に起こすのは大事、な気がするので今後も気が向いたら書きます。ではまた。