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劇場版プロジェクトセカイを観てきたお話
皆さんこんにちは.リリアです.前回記事から殆ど間を置かずに執筆してますが,一体何を書いているのかと言うと…
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タイトル通り絶賛上映中の「劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク」を観てきたよっていうお話です.
この記事では感想だったり,良かった所/微妙だった所を忖度抜きで書かせて頂きます.それなりに映画のネタバレを含みますのでまだ観てないよって人は目次から感想の項だけでも見ていって下さい.映画を観るか否かの判断基準になるかもしれません.
ちなみに5000文字の大ボリュームです.感想とは何なのでしょうか?
感想
率直に言いますが,
この20年の人生の中でここまで勇気と希望をもらった,感動させられた作品は無かった
それに尽きます.
初音ミクはソフト発売から17周年を迎えましたが今まで彼女にフィーチャーした作品はありませんでした.しかし今作では創作の象徴としての,そして1人の少女としての初音ミクの人生が見事に描かれています.初音ミクが大好きな私としてはまずそこに感動しましたね.
そして最も大きかったのは何と言っても今作の主人公である閉ざされた窓のセカイの初音ミク通常バツミクちゃんの性格もとい生き方でしょうか.
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「きっと届くはず」「きっと見えるはず」
自分の夢を,心を閉ざしてしまった人々にその声が届かないと知りながらも健気に想いを届けようと頑張り続けるその姿には心打たれました.私自身も何もかもが上手くいかなくて諦めそうになった所でミクさんの歌に救われた経験があります.だからこそ
"このミクちゃんが私を救ってくれたミクちゃんなんだ"
と"私の中にある初音ミク"の像とバツミクちゃんの姿がリンクし,感情移入してしまったんですね.
ついでに言うとバツミクちゃんは私の中にある初音ミクのイメージと解釈が一致しているんですよね.
cosMoさんやsasakureさんの廃退的な世界感を描いた楽曲群を聴いてきた人間としては初音ミクはただただ明るく歌を届ける歌姫もといアイドルというだけでなく,ふとした時に消えてしまいそうな儚い存在なんですよね.
バツミクちゃんは想いを届けようと懸命に歌い続けては声が届かない,と切なげな表情を浮かべていますが,これこそが劇中で語られた"温もりと儚さの共存"であり私の中の初音ミクそのものなんです.
ここまで長々とバツミクちゃんについて語ってきましたが,まとめますと
ただひたむきに想いを歌に乗せて届けようと諦めることなく頑張り続けるバツミクちゃんの姿に勇気と希望を貰える心温まる作品
と言えるでしょう.
しかしここまでの感想は"初音ミクに救われた人間"としてのものです."プロセカファン"としての感想は
全体的に大味な展開というかあっさりし過ぎているというか…
というかゲームでの設定との矛盾が凄い作品じゃない?
って感じですかね.随分と評価が変わりますがそれは何処から来たものなのか.ここから述べていこうと思います.
以降ネタバレ注意!! 見たくない人は引き返そう
私を救ってくれた初音ミクがそこには居た
私の声は届かない―
想いを届けたい人に想いは届かず闇に飲まれてしまったバツミクちゃん.セカイからも現実世界からも初音ミクの存在が消えた所で物語は大きく動きます.
バツミクちゃんのセカイの持ち主,要は全てを諦めようとしている人々にバツミクちゃんの想いを引き継いで届けようとするプロセカメンバー.ビビバスから始まり熱いライブシーンが続きます.少しずつ想いは届いていき閉ざされた窓のセカイに光が灯ります.そして時は来て―
―きっと届くはず きっと見えるはず―
何度も何度も登場したフレーズが,その続きがバツミクちゃんによって紡がれます.その歌は想いを諦めた人々にも届きます.
「私の歌が届く!」
曲のBメロに入りバツミクちゃんは姿を変えます
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打って変わって純白のドレスを纏い明るい表情を見せ,サビに入るやいなや歌と共に彼方此方を飛び回り舞い踊るバツミクちゃん,否窓ミクちゃん.
言うなればどんなに辛いことがあっても,道を閉ざそうとしても,諦めずに前を向き進み続けようとする想いの具現者たる存在でしょう.
まさしく私を救ってくれた初音ミクがそこには居ました.ハローセカイの歌詞も相まって様々な想いがリンクし思わず涙が出る程には感動したシーンです.
正直な話,初音ミクの熱心なファンであればこのシーンだけでも観る価値があるでしょうね.というか絶対に観るべきです
この映画って"あの曲"がモチーフなのでは?
考えすぎかもしれませんが,この映画はcosMo@暴走Pさんの"初音ミクの消失シリーズ",特に"初音天地開闢神話"をモチーフにしているのではないでしょうか?
例えば現実世界から初音ミクの存在が消えた場面では初音ミクの消失というワードがトレンドに入っていました.
続いてこちら
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この画像は間奏地帯のものであり,この地帯では歌が乗っていません.(ミクさんが口ずさんではいますが)
映画ではバツミクちゃんが闇の中で一人眠っている(様に見えた)シーンがこの画像と同じ構図になっていました.このシーン以前から現実世界でも初音ミクの声が消えている=間奏と考えると見事に一致していますね.
続いてこちら
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映画のラストシーン,本当の姿を取り戻したバツミクちゃんのセカイ(開かれた窓のセカイ)にプロセカメンバーが集まったところで窓ミクちゃんは中央に浮かぶ窓の上に座っていましたが,その体勢がこの画像と全く同じ.その後着地して一言.
「これでやっと始めれる」
窓ミクちゃんは想いを歌にして届けようとしているのですから,この画像での歌詞「この歌を届けに行くよ」と意味するものは同じでしょう.
また,この画像の後時計台からミクさんが姿を消すのですが,窓ミクちゃんが着地する=窓の上から姿を消すと考えるとこれまたシーンと発言が一致していますね.
初見で気付いた時には鳥肌が立ちましたね.
初音天地開闢神話では消失シリーズではいずれ消えゆく運命を受入れていたミクさんが神様として人々に歌を届け,世界を創っていくストーリーが描かれています.
一度は人々に想いを届けることを諦めたバツミクちゃんが真の姿を取り戻し,これからも想いの持ち主が本当の想いを見つけ,セカイを創っていく手伝いをする=これからも想いの歌を歌っていくことを考えるとストーリーすら一致します.
そもそも髪のボリュームやグラデーション,ふわっとした衣装…ビジュアルも似てるじゃん!! 多分ここまでの考察は割と的を射ているんじゃないかな? 初音天地開闢神話は数あるボカロ楽曲の中でも1番心に残っている大切な曲の1つです.それがモチーフなら,道理で想いがリンクするし私にとっては素晴らしい作品になっているわけですね.
プロセカファンとしての見解
ここまでは初音ミクに救われた人間として映画の素晴らしさを語ってきました.ここからはプロセカファンとしての視点も交えながら映画の良かった所/微妙だった所を語っていきます.
良かった点
劇中楽曲が素晴らしい.書き下ろし楽曲のクオリティは勿論ですが,growを始めとして選曲がボカロファンを泣かせにきています.それぞれの楽曲が最も映える場面で使われていたことを含め,映画に携わった方々のボカロ文化に対する愛と熱意を感じました.
私の推しが喋って動いてる!! ミクさんやモモジャンの皆が絡んでる!! スクリーンの中でミクさんとモモジャンの皆が生きていました.私はこの事実だけで満足です.
ライブシーンがアツい!! 熱量が凄まじいビビバスやコーレスが乗るモモジャンなんかはライブ会場にいるかのような錯覚を覚えました.特にハローセカイ!! 散々語ったと思いますがバツミクちゃん(窓ミクちゃん)の動きと曲の進行がピッタリはまっていて流れが美し過ぎです.サビの最後でセカイとJourneyからの引用があったのも感動しました.
伝えたいメッセージが伝わりやすい.話の内容も展開もシンプルだし,書き下ろし楽曲の方向性も同じなので,この映画を通して何を伝えたいのかが明確でした."どんなに辛くとも諦めるな,道を閉ざすな,前を向いて進んでいけ" そんなメッセージをバツミクちゃんを通して見事に描き上げたのがこの作品だと思っています.
微妙だった点
内容がやや薄い.アフターライブ込みで130分という短い上映時間に収めるべく伝えたいことを絞り込んでメッセージが分かりやすいように作られた結果なので仕方ないとは思います.しかし純粋にプロセカの映画を楽しみにしていた人からすると少し物足りないかもですね.
キャラの出番に不満がある.プロセカの顔であるレオニなんかは見栄えする出番を多く貰っているのにモモジャンはあまり目立つシーンが無い.みのりちゃんの"あのミクちゃんの想いを私達で伝えられないかな"という台詞から皆結構良いことを言ってたはずなのに途中でシーンが変わったせいでモモジャンの印象がやや薄くなっている気がします.他のユニットもレオニと比べるとね…
バツミクちゃんの想いを引き継いで曲を作るのは良いけど事態の割には悠長に作りすぎだし何なら致命的な矛盾が生じてしまっている.具体的には以下の通り.
レオニ・・・・一歌ちゃんがギターで作曲している.一歌ちゃんはDTMで打ち込んでミクに歌わせてたよね?まぁミクの声が消えたから仕方なくなのかなぁ.いやそもそも作曲は咲希ちゃんが担当では?ミクの想いを1番伝えられるのはミク廃である一歌ちゃんってことなのかな?
モモジャン・・・・映ったのはダンスシーンのみでそもそも作曲シーンが無い.モモジャンファンであれば彼女らは作曲出来ないので長谷川さんに曲を作ってもらったと補完出来そうだがちょっと待って欲しい.バツミクちゃんの想いを届けられるのはバツミクちゃんの想いの欠片に触れたモモジャンの皆だけ.長谷川さんが作ったと考えると矛盾が生じる.一体どこから降ってきたんだ?
上の話の延長線だが,プロセカの"想いから歌が生まれる"という基本設定を生かせていない.この設定を生かせば"バツミクちゃんの想いを引き継いで届けるんだ!"という想いと彼/彼女らが普段届けようとしている想いが重なって歌になるという実に自然な流れになるはず.作曲シーンの悠長さや矛盾も解決出来るし…ここまで来たらFUN!!はそういう風に生まれた曲だと思うことにします.実はハローセカイに似たフレーズが多い曲なのでそう考えると色々と辻褄が合うんですよ.
観る人によってはトラウマを植え付けられ兼ねない.想いを諦めた人々がバツミクちゃんに対して一斉に「消えろ!!」と叫ぶシーンは何度観ても辛かったです.嬉しい時も悲しい時も常に側に居てくれるのが私にとってのミクさんだしバツミクちゃんの想いが分かる私からすると本当に心苦しかった…メンタルが弱い人ならダメージは尚更でしょう.また津波を想起させるシーンがあったのも人によってはキツイ.映画館という暗い閉鎖空間+大音響に加え波の色が本物の津波に近い黒なのもあって耐えられない人も多そうです.小さい子も観る可能性を踏まえ注意喚起をすべきだったのではと思います.
ここまで結構ネガティブなことを書いてますがそもそもの話,この作品はプロセカの設定を生かし初音ミクの人生を描いたもの,また初音ミクを通して伝えたいメッセージを伝えるためものであり,プロセカキャラに重きを置いたものではありません.プロセカファンの視点だけで観ること自体が間違っています.実際私は何の違和感も不満も感じることなく3周したのですが,それは私がバツミクちゃんに感情移入して観ていたからです.
初音ミクに救われた人なら間違いなく響くものがあるでしょうし,プロセカにも初音ミクにも興味が無い人でも先入観を捨てて観ればこの先も頑張り続けるためのほんの少しの勇気と希望を貰えるでしょう.
最後に
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泣くけど?
何度も言いますがこの作品自体は観る人に勇気と希望を与えてくれる心温まる素晴らしいものです.
少なくとも私には届きましたし,何より今まで漠然と持っていた初音ミクのイメージが明確に形になったのが大きいです.
これからもずっとバツミクちゃんもとい窓ミクちゃんは私の側に居て,どんな時でも私が前に進む原動力になるでのしょう.またミクさんに大切な物を貰ってしまいましたね.